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彼女は肉うどんを、俺は唐揚げ定食をカウンターで注文して、トレイの上に乗せて席へ戻る。座ろうとしたその時、
「お箸忘れた、取ってくる。」
彼女は、うどんをテーブルの上に置いて席を離れた。
今だ。
俺は目を見開いた。カウンターに向かった美加は、こちらに背を向けている。このチャンスを、逃す手はなかった。俺は彼女の肉うどんに、テーブルに備え付けの調味料の中から酢を選んで、トポトポとたっぷり入れておいた。
戻って来た彼女と向き合って、平然と声を合わせる。
「いただきまーす。」
一口すすって、案の定、彼女は咳き込んだ。俺はそんな彼女を、一秒も見逃すまいと、しっかり目で追った。
ぎゅっと、顔の部品全部が真ん中に集中して、のっぺりとした彼女の顔がくちゃくちゃになる瞬間は、何回見ても衝撃だった。胸の鼓動の理由は分からないけれど、もっと、ずっと見ていたいと思った。
ひとしきり咳き込んで、やっと落ち着いた彼女が、こちらを見上げている。両手をテーブルに着いて、握りこぶしを作っている、その気迫に只ならぬ気配を感じて、俺は身構えた。
「敏君は、あたしの嫌がることばっかするけど、本当にあたしの事好きなん!?」
目は燃えるように見開いている。変に答えたら、更に怒らせてしまう。俺は慎重に言葉を選ぶと、ぼそりと呟いた。
「・・・好いとうよ。」
「こんなんしたら、食べれんやん。もお無理。もお嫌い。」
握ったこぶしのまま、天を仰いでうわ言のように頭を振る。
食事が終わって、席を立つ周りの人達が、トレイを手に通り過ぎざまに彼女を眺めて行く。ざわざわした食堂の、話題の中心に自分達が居るように感じた。その様子をなんとか落ち着かせようと、精一杯の言葉で彼女をなだめた。
「酸っぱい物は、身体にいいって言うだろ。最近風邪気味で調子悪いって言ってたし、俺は美加の為を思って。」
「そんなん、敏君の好みやん。敏君はそういうの好きかも知らんけど、あたしは酸っぱい物、食べれんのよ。」
そう言われたら、返す言葉が無かった。
「確かに好みやけど。」
こればっかりは、どうしようもなかった。俺も彼女も。
「うう~。」
彼女は呻きながら脚をばたつかせて、両手でテーブルを叩きながら訴えた。
「もおやだ。これ以上あたしに酸っぱい物食べさせたら、別れるー!!敏君、あたしの事好きなんやったら、もうこんなんせんって約束して。あたしか酸っぱい物か、どっちか選んで。」
そんな事、選べん。選べる訳無いやろ。だって、美加の事好きな理由が。
そんな事を言えるはずも無く、俺は黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、やっと見つけたひとつの言葉を、喉の奥から搾り出した。
「友達でいいから、付き合って。」
それから彼女からの連絡はない。唯一一緒だった英語の授業も、代返で済ませているみたいだ。
どのDVDを見ても、彼女程の顔をする女優はいなくて。
ああ、あの時ふざけてでもいいから、動画で撮っとけばよかったなあ。
駅のホームでベンチに座って、タブレット端末で映像を見ながら、寒い中ひとりで電車を待っていた。
2012.1.9.安堂まりー
「ねえ、それ何ぃ?」
顔を寄せて聞いてくる彼女に、
「ああ、さっき購買で買ったんだよ。食べる?」
タブレットのケースを傾けて、カシャ。と彼女の手の平に落とす。黄色のケースに入ったビタミンC入りのお菓子は、酸っぱすぎて一粒食べた後はポケットに仕舞っていたのだが、3時限目の授業が終わった今の様な時間には眠気覚ましに丁度良い気がして、さっき取り出したところだったのだ。
あといっこ授業を受ければ終わりかー。そう思って、教室の硬い背もたれに背中を預けて座りながら、次の授業の開始を待っていると、隣の教室にいた彼女が10分の休み時間を利用してやってきた。
俺のあげた二粒のタブレットを手の平に転がして眺めると、かぱっと口に入れた。
次の瞬間、俺の知ってる彼女が彼女ではなくなった。
ぎゅっと顔を歪めて、頭を振って騒ぎだす。
「むわー。何これ。酸いぃ。酸いーて。」
俺は目が離せなかった。少し離れた目と、鼻と口が、ぎゅっと顔の中心に集中する。のっぺりと白く塗られた顔が、くちゃくちゃになって、今までに見たことのない表情が俺の前に現れた。
正直、感動した。人の顔って、こんなに変わるもんなのかと思った。
ぎゃーぎゃー騒ぎ立てる彼女は、口を押さえたり机を叩いたりしている。俺はその僅かな表情をも見逃すまいと、ぐっと目を見開いていた。
「なに・・・、見てんのよぉ。」
ぼさぼさの髪そのままで、元気なく恨めし気にこちらを見上げる。やっと落ち着いた彼女は、元の表情を取り戻していた。俺はつい、
「あ・・・、もっと食べる?」
「もう!」
その言葉を冗談だと思って、彼女は俺の肩をばん、と叩いた。
その日から、彼女と俺との戦いが始まった。
「これ、新作のお菓子だって。食べてみ。」
「ええー、何―?ありがとお。」
一粒渡したチューイングキャンディは、梅味だった。赤い粒を口に放り込んだ彼女は、
「やー。なに、もおー。」
そう言って顔を歪める。ぎゅっと閉じられた瞼の、目尻がしわくちゃになる。
「もう、何するん。あたし、酸っぱい物が一番嫌い!」
怒って俺の肩を叩いてくる彼女は、もう元の表情に戻っている。
ゾクゾクした。もっと見たいと思った。
8時のバラエティ番組が終わって、テレビもつまらなくなってくると、こたつで隣に座った美加がもっと擦り寄ってきた。二人で部屋でだらだらして、バイトも予定も何もない時間。テレビではCMが流れている。
「あたしぃ、敏君の眼鏡好きー。」
両手で俺の黒縁眼鏡を外して、顔の前で眺める。
「だって、頭いいって感じするやん。インテリって感じ。敏君、細いし。超クールって感じがする。」
眼鏡を顔に近付けて、自分でかけようとしては、度がきついことに気付いて離す。諦めて俺の顔に眼鏡を戻して、まじまじと見詰めた。
「ねえ、敏君は、あたしのどこが好き?」
「あ、顔。とか、表情かな。」
「うそお!知らんかったー。やだ、嬉しい。毎日メイク頑張ってる甲斐あったあー。」
そう言って、両手を口に当てて、にひひと笑う。違うんだけどな。その誤解は解かないでおこうと思って、黙って美加の頭をなでた。
昼休みに、食堂で待ち合わせの席に行く前に、購買部でビタミンCのサプリメントを買っていった。先に席に着いた彼女が手を振って応える。
「ごめん、遅れて。」
「ううん、大丈夫―。それより、早く並ぼ。メニューのAランチが、人気あるっぽいよ。」
「いいよ、売り切れたら別の、ある物食べるから。それより、お腹空いた?」
窓際の、よく日の当たる席でスチール製の椅子を引いて荷物を降ろし、彼女の向かいに座る。
「空いた!空きまくり!もう耐えれん。」
彼女はテーブルに両手をいっぱいに伸ばして、ばたばたと叩いた。テーブルに備え付けの調味料の小瓶達が、かしゃかしゃと音をたてて揺れた。
「じゃあ、目ぇ閉じて。」
「ん。」
素直な彼女は、テーブルに顎を乗せたまま目を閉じる。
「口開けて。」
「あー。」
つやつやにグロスを塗った唇の間に、さっき買ったビタミンCのサプリを一粒押し込んだ。すると、テーブルの上に乗ったまま、彼女の目と口と眉が、みゅーっと顔の中央に寄っていって、ぱん。とはじけた。
「もう!なんでぇ?」
彼女は立ち上がると、口を開けて、サプリメントの乗ったべろを突き出したまま、鞄の中のティッシュを探している。がさがさと荒っぽく鞄を探る仕草に、俺は慌てて弁解した。
「それ、ビタミンCのサプリだよ。おかしな物じゃないって。身体にいいし、お肌にだって、いいだろ?」
「そんな物、必要ないもん。いらん。まだぴちぴちやもん。」
やっとティッシュを探り当てた彼女は、サプリを口の中から出してしまった。
拗ねて口を尖らせる様子は、やっぱり可愛い。でも、まだ足りない。
仕方ないな、今回は。別の手を考えよう。そう思って、二人で昼ごはんを選ぶ為に席を立った。
(3/3に続く。)