例の、大津のいじめ自殺事件発覚以降、毎日のように「いじめ自殺」と言う文字を見る。それは、過去の出来事を改めて調査するという内容もあれば、「昨日~」という事もある。
様々な所で様々な人が「いじめは良くない!」と声高に言ってるにもかかわらず、「いじめ」が無くならないのは、大なり小なり人間の本能的なもんじゃないかと思う。
学校という閉じた社会の中で、思春期の《自分のことすら面倒みきれない》人間が『自分達とは異質なもの』を嗅ぎ取る能力は動物的だと思う。
異質なもの=理解出来ない…更に《理解しようと努めない》事で【排除しよう】という方向にベクトルが向かうんじゃないか?
特に《理解しようと努めない》=《想像力の欠如》が顕著になってきたんじゃないかと考える。
誤解されると大変困るんだけど、「いじめ」は仕方ない。などと言うつもりは毛頭無い。
最近は「いじめ」ではなく、【肉体的・精神的な暴力】最早、犯罪。
《想像力の欠如》=【相手の立場に立つ】って事を、親もセンセも教えなくなったようだ。
「いじめ」を無くすのは難しいなら【いじめられたらどう立ち回るか】を考えた方がいい。
「いじめ」る側の人間は《閑人》だから、教室や学校以外に自分の『居場所』を作っておけばいい。
「出る杭は打たれる」けど、『出すぎた杭は打たれない』場合もある。
かなり乱暴な考えだけど…。
私もね~。女子に「シカト」食らった事あったけど、授業以外はほとんど教室にいなかったし、クラスの中でツルンでても意味無いなぁ~って思ってたら、気にならなくなったな…。
今は、そんな甘いこと無いのかも知れないけど…。
シビアになったので、はい!今日のデザート♪