ここはいつも坂の途中 | marieとリョウの人生ヒマつぶし

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フツーの主婦marie(マリー)と
その息子リョウのフツーの日常が一転、
2011年、東日本大震災の被災者に。
2016年、大黒柱のパパが難病に。

ちょっとだけフツーじゃなくなってしまったけれど

フツーじゃないあれこれが
我が家の新しいフツーになりました。

9月になりましたね


私が住んでいる地域では

台風も拍子抜けという感じで

心配したほどではなかったけど

これからしばらくは台風シーズンなので

まだまだ気を抜けないというところです


台風やら地震やら

心配してたらキリがないですね


だから、ある程度は気にするけど

少しスルーするスキルも必要かなと思います



それは人生においても同じこと


いろんなことが起こるけど

気にしつつ、気にしなつつ

日本には“塩梅”っていう、良い言葉もあるからね

ベストを尽くしつつ、何事もいい塩梅で



ある時期に、辛いことや

思い通りに行かないことがあったとして

それをそのまま捉えてしまうと

それはいわゆる“不幸”ってことなのかもしれない


でも、その先に確実に幸せがあるとすると

それはそこにたどり着くまでの通過点でしかないし

もしかしたら、先の幸福をさらに増幅させる

トリックであるかもしれない



逆に今、幸せだなぁと感じていたとして

それもあるひとつの出来事でしかない


その先にさらにすんごい

とんでもない幸せが用意されているとしたら

今のその幸せなんて、後から思い出すと

とっても小さなものってことになる



“今、ここ”に集中してしまわずに

全体を大きな視点で捉えたら

あの不幸も実は幸せの種だったり

その幸せもとてもちっぽけなものだったり


でもそれは先に進んだ人にしかわからない



道の途中に何があるかなんて

誰にもわからないけど

誰にでも『生きててよかった』と思える未来が

間違いなくあるとしたら

それを自分の目で見ることを目標にしたらいい



今、歩いている道が

平坦でも上り坂でも下り坂でも

ただ単にそれは坂の途中


着地点はもっと高いところにあるから

道中、少々しんどいのは当たり前


その道をまっすぐだったり

回り道をしたり、迷ったりしながら進む


迷った先で思いがけない大事なものを見つけたり

行き止まりでどうしようもなくなって戻ったり


いろいろ試行錯誤するけど

結局は頂上の終着点につながってる



途中でなにが起こっても

生きてる私たちにはまだ先がある


先があるんだったら

そこに見たことのない幸せがあるんだとしたら

とりあえずこのまま歩いてみるかって


人生なんてそんな感じでも

いいんじゃないかなと私は思う


考えすぎなくていい


結局のところ

なにを選んで、どこをどう進んだとしても

自分が信じて選んだ道を

正解にしてしまえばいいって話