ギリシャのロドスに来て早10日。あっという間に過ぎていき、明日はもうフィンランドに帰国。あぁもう少しお休みがあったら…と思えるのは、この休みが充実していたのでしょう。


旅の5日後からは主人の友人が、1週間を過ぎてからは、フィンランドから私の友人家族も参加して、みんなで亡き義母の生家で過ごしました。


みんなが散らかしていくから、私と友人でお片づけ。これは友人がいなかったら確実にイライラの原因だったな宇宙人くん


主人が冬から依頼していたプールも庭に完成!海から戻り、さらに泳ぐ私たち。


先月、夏休みにロドスに帰省することを話すと「いいなぁ、ロドス島におうちがあるなんて。フィンランド人と結婚した私は、一生フィンランドだよ。」とため息をついた友人。

「大きいおうちだから、三家族は泊まれるよ!遊びに来たら?」と誘うと大喜びしてくれ、今回夏休みを一緒に過ごすことが実現したのです。

その友人は中国人中国 フィンランドに引っ越してから、どんどん話せなくなってきた中国語を忘れなくない、とヘルシンキの生涯学習センターの中国語クラスに通っていた時の先生なのです。少し話せても全く漢字をかけず、ピンインだけで中国語学習をしたがるフィンランド人と、漢字の国で生まれ育ち、簡体字で中国語の勉強をしてきた私とは自ずと同じ授業を受けるのが難しくなり。個人レッスンに切り替え、年齢差も5歳ということがわかり、友人になったのでした。

話はそれますが、フィンランドにいながら、私が心を許せる友人は、中国人とロシア人。なんだかんだとお互い助け合う感覚が似ているのです。

主人にいうと、「国家や社会福祉制度が成熟していないと、助け合い精神が生まれるんだと思う。フィンランドでは所得の少ない人にスープやパンが国から支給される(しかるべき日にleipäjonoと言われる、パンを待つ人の列ができる)でしょ。ギリシャの社会保障ではそんなことできないけど、困ってる人がパン屋さんに行けば、前の日の売れ残りのパンをあげるのは当たり前なんだよ。」と。

ちなみに今回マヨルカ島からフィンランドに戻って来た時も、中国人やロシア人の友人は「小熊くんがいて、ご主人も不在で引っ越しなんて大変でしょ。手伝いにいくよ!」と言ってくれたのです。対して3人の子育てを終えたフィンランド人の友人に「主人が海外で働く可能性が高くて、助けを求めることがあるかもしれない。」と話すと、「具体的にどんな助けが必要なの?」と。

「うーんと、例えば子どもが急に熱を出したりした時とか…」と言うと、「フィンランドの法律で、子どもが11歳になるまでは子どもが病気をしたら、親は会社を休んでいいのよ。」と。さすが、社会福祉が整った国。でもさ、外国人がワンオペ育児していたら、私なら頼まれる前に「何かあったら言ってね」と言うなぁ。

私の性格のこういう部分が、中国人やロシア人の友だちと合うのです。もちろん個人によるところは大きいとは思うのですが。

長くなってしまいましたが、そんなわけで来てくれた中国人の友だち。実は20代半ばからひとり旅ばかりしていた私は、友人との旅行という経験が極めて少ない。でも、楽しいものだなぁ。と、40代半ばで気づいた。

八百屋さんで大きな長いスイカを見て、「中国にもこういう長いのがあるんだ!」と喜んでくれたりスイカ


「夏はやっぱりスイカだよね!」はギリシャも中国も日本も一緒。なんだか嬉しい。


新鮮な野菜を買い込んで、中国の家庭料理を一緒に作ったり。オクラを食べるのも、ギリシャも中国も日本も一緒。


イカ、エビなどの魚介類を楽しむのも、ギリシャ、中国、日本共通ウインク フィンランド語なんてイカもタコも同じ名前。



やかましいくらいの蝉の鳴き声を聞き、「これぞ夏だよねー。」と喜ぶ私たち。海で泳いで、新鮮な野菜や海の幸を楽しむ波浮き輪 これ、友人がいるからさらに楽しいし、スイカ、オクラ、魚介類、蝉の鳴き声、とフィンランドにいたら気づかなかった、夏の思い出を共有できて、なんだか嬉しいニコニコ

トレーニングもせずに、ブヨブヨのお腹でビキニを着たことを2人して後悔。「今度はあの人みたいな身体になってビキニ着ようよ!」という私に「ムリだよ、そもそもあんな水着どこで買うの?」と友人。


「あそこまでセクシーじゃないけどさ、私がマヨルカで買いまくった水着のお古あげるから。」「やったー、見せて見せてー。フィンランドじゃ売ってないもんねー。」

と、喜んで私の水着を着てくれている友人。こんな会話も、楽しいねー爆笑 フィンランドに戻ったら、さっそく腹筋鍛えて、今度の夏に備えようねてへぺろスイカ生ビール