池内淳子さんは
私の原点
池内さんにお会いしなかったら
山岡師にも
石井ふく子先生にも
お目にかかることは
なかったでしょう
18歳の元アイドルさんの
お世話をするために
19歳の私が
朝も昼も夜も
楽屋でご飯を作り
ホテルへの送り迎えもして
そんな姿を
見ていて下さって
公演の終わる
数日前に
声をかけてくださって
当時
池内さんと
同じ事務所にいらした
津島恵子さんの
テレビに付いてくれる
女の子を探してて
良かったら
とのお話に
テレビなんて
全く知らない世界に
とにかく
やります!
と
道が繋がっていったんだな
って思います
津島恵子先生とは
都内のロケ現場に向かう道沿いだからと
私の家から程近い
環八の陸橋脇で
待ち合わせして
自らお車を颯爽と運転された
津島先生が
車内から
ちょっと鼻にかかったあのお声で
大川さんね 津島です よろしく!
とおっしゃったのが
初対面でした
そのロケのあと
瀬戸内海の小さな島に
半月くらい
行ってまして
みんなで
こじんまりとした
旅館に
泊まっていたので
津島先生とも
ゆっくりお話できたり
主演の
若山富三郎さんから
お身体の傷自慢を伺ったり
不思議な不思議な
経験でした
肝心のお仕事の方といえば
はじめは
ただボーっと
いるだけで
どこに立っていれば
カメラに写らないかも
全くわからない
映像の知識ゼロの私に
津島先生は
ひとつひとつ
優しく丁寧に
教えて下さり
あのロケで
いろいろな蓄積が
できたのかな
と思います
ロケ地にて 津島恵子先生と
津島先生とは
その後も
ご縁をいただき
いつのまにか
池内ファミリーの一員に
加えていただくことになり
当時は
毎年必ず
明治座や中日劇場の
池内さんの舞台には
籍を置かせていただいていたため
舞台のない時期に
津島先生がご出演される
牟田刑事官や
2時間ドラマなど
随分と関わらせて
いただきました
津島先生主演の
昼の帯ドラマ
母さん家においでよ
では
江戸屋猫八師匠の孫
石倉三郎さんの娘役で
準レギュラーで
出演できたり
ほんとにお世話になった
大恩人です
ご夫婦仲良く
テニスを毎週やっていらして
そのテニス仲間が
うちのお向かいの
息子さん
と気づいた時は
まーご縁なのねー
と先生と笑い合いました😊
池内さんは
絶対に
先生と呼ばないで
と
最後まで頑なに
おっしゃってました
だから今も
池内さん です
これは 古い明治座
まだ座組に加えて戴き始めの頃
この舞台では
当時
明治座の本舞台が
デコボコしてて
高島田をかぶった
お武家のお嬢様な私が
ある日
そのデコボコにつまづいて
鬘を落としそうになる
という
大失態をした
苦ーい思い出があります
その後
かあさんのところで頑張ってらっしゃい
と
池内さんに背中を押され
山岡家に行ったあとも
山岡師の舞台と
重ならなければ
池内さんの舞台には
ずっと参加させていただき
当時は
毎月
大人数の舞台が花ざかりで
人気の役者さんは
毎月
あっちの舞台
こっちの舞台
と入り乱れてましたので
お稽古大好きな池内さん
なかなか役者さんは
揃わなくても
早々にお稽古がスタートするため
出ずっぱりな方も含めて
様々な方々の
いろいろな役柄の
代役をさせていただき
本当に勉強させていただきました
上手に引っ込んだとたん
花道から違う役で出る
なんていうこともざらで
一日中楽しかった!
そんななか
光栄にも
萬屋錦之介先生とも
舞台稽古の段階まで
お芝居をさせていただく
機会があり
私のような未熟なものであっても
手を抜かず
目を見て 本息で
やりとりして下さって
本当に本当に
ありがたかったです
そうこうするうち
山岡が
渡る世間が開始されたりと
どんどん365日体制になってきても
お二人の
素敵な関係性で
お会いする機会は多く
二人で旅番組
などあると
私は お二人担当の
お手伝いと着付けとして
同行させていただいて
そうすると
どちらも
池内さんを見てあげなさい
かあさんを見てあげなさい
と譲り合い
それはそれで
大騒ぎ
女らしい役柄が多い池内さんですが
さっぱりされてて
お料理は召し上がるだけ
気遣いは細かいけど
でーんと
していることも意外と多く
こざっぱりな役柄が多い山岡師は
料理上手で
意外と色っぽく
飲むと可愛らしい面もある
そんなとこから
私たちは
池内さんを 殿
山岡師を 姫
と呼んでおりました
これは
山岡亡きあと
最後にご一緒した舞台
女たちの忠臣蔵
このとき
真理ちゃん お芝居続けなくてもいいのよ
と
しみじみ
話して下さったのが
印象的でした
ここでお話した
津島先生
池内さん
山岡師
は
私には
大切な
三人の母ですね