家系ラーメンではありません(^^)






津島恵子先生にテレビを学びながら



毎年明治座と中日劇場で公演されていた

 

池内さんの舞台に出させていただき

 

ありがたいことに



当時は舞台が花盛りで



稽古中は他の劇場に出ていらっしゃる



忙しい役者さんが多く



池内家に付随する私には



代役させていただく機会が毎回あり



ひっこんでは



また次の役で出てと



毎日楽しかった!








中日劇場の鳥影の関では 



三林京子さんの代役で



萬屋錦之介さんとも本番ギリギリまで




絡ませていただき




まだ二十歳くらいの素人のわたしに対しても




本息でお芝居をしてくださって




本当にありがたい経験をさせていただきました







昔の明治座は



地の舞台に凹凸があって



せっかく良家の娘で



高島田のきれいなお役をいただき



とり澄まして話していたのに



あっ あちらから涼やかな鼓の音が。。



とパタパタ上手へ走り寄るいい場面で



せりの段差につまづいて



鬘を落としそうになったことも。。










山岡家はとにかく楽屋の荷物が多い多い



殆どが 調理用具



まあとにかく朝から晩まで



野菜を切り 米を研ぎ



合間に化粧して



私たちは女優さんじゃなくて女中さん



と山岡さんはよく言ってました







その当時は 各家で御飯作ってまして



水屋ではみんな入り乱れながら



下ごしらえにいそしんでました




そうだ



お米の研ぎ方は



大鹿次代さんに習ったんだ!



厳しかった!!






山岡家では 東京でも



演出部の若い男の子に



毎朝朝食を作ったり



地方へ行くと



毎日 昼ごはんのおかずを



全員に振る舞って



舞台に出ると 自分の手がタマネギくさい



なんてことがよくありました





楽屋から出ると買い出し



仕込み






芸術座は二ヶ月公演だったけど



ある日 小さな卵焼き用のフライパンを



プレゼントよ といただきまして



二ヶ月間 ずーっと出番の合間



床山の山田さんにニヤニヤされつつ



卵焼きを焼き続けた公演もあったな



凝るとしばらく続くんです



半熟卵器とか



博士なべとか



エスプレッソマシーンとか  (^^)







最後の出演になった



おもろい女では



公演中かなり具合が悪かったようですが



スタッフさんが直しがあって大変だと



一度家に戻り



作った料理を一人で日生劇場に運んで



翌日の嬉しそうな笑顔を垣間見て



あれが最後の差し入れだったなと



今では懐かしく思い出されます







私が山岡家に行っても



池内さんとご一緒の舞台もありましたし



花柳梅静先生の会で



二人で粟餅を踊られた際は



お稽古に同行して



あんたも覚えといてよ



とお二人分の責任が降りかかってきたり





山岡 池内 お二人の旅番組もあって



そんな時は なぜかお二人の着物の着付けと



お手伝いをして大奮闘






ああ見えて



池内さんは 殿



山岡さんは 姫



と私たちは密かに呼んでました



世間で思われてるキャラクターとは



違うかもしれないですね