佐藤正純さんは北海道のスキー場で、スノーボードで転倒し、頭を強く打った。1カ月後に意識が戻り始
めたが、人の顔もぼんやりし、まるで影絵の中にいるようだった。1年が365日であることも忘れてい
た。10年前、37歳の時だ。佐藤さんは横浜の病院の脳神経外科医だった。視力と記憶の障害は脳が傷
ついたせいだ、とすぐにわかった。傷ついた部分の治癒は望めない。脳の残った機能を高めるしかなかっ
た。しかし、退院して訪ねたリハビリ医は「これ以上、何をお望みですか」と言った。障害が深刻なこと
を率直に言ってくれた、と後に感謝するのだが、その時は、やれるものなら自分でやってみろ、と挑戦状
を突きつけられた気になった。点字図書館からテープ図書を借りた。妻や子どもと積極的に話した。記憶
力が少しずつ戻ってきた。次は視力に頼らず読み書きをすることだ。パソコンの文字を読み上げるソフト
の使い方を学んだ。もう一つは歩く訓練だ。山手線に1人で乗れた時には、感激のあまり涙が出た。事故
から5年余りがたっていた。不思議なことに、幼いころから親しんできたピアノは、事故の後も自然に指
が動いた。佐藤さんは「障害を負っても、自分の人生がそこで途切れたとは思わなかった。過去の人生に
現在を重ね着し、その人生が広がる。そう考えてきました」と語る。いま医療の専門学校で医学の基礎な
どを教えている。医師と障害者という二つの人生。その経験を生かして、医療や福祉の世界でもっと役に
立ちたい。それが次の夢である。 (2006年6月19日付け 朝日新聞 天声人語)