みちたろうです。



子どもの時に抱えていた感情って、

意外と大人になっても残ってるし、

子どもの時はそれをうまく言語化できなくて、

大人になってやっと「それ」に気づいたりする。

特にネガティブな感情に浸ってる時。



僕は人が苦手です。

子どもの時は人見知りで仲良い友達ばかりと話す子。





大人になって、初見の人と話せるようになって、

克服したのかな?と思っていたけれど、

それは仕事などで鍛えられたからであって、

自分の本質は全く変わってないなと、最近気づいた。



人が苦手というより、怖い。

なぜなんだろう?

あぁ、「それ」に気づく。

自分は自分が嫌いだったんだ。



自分のくだらなさ、至らなさは分かってる。

それをないようにして、蓋をしてきました。

でも、蓋をしたからといってなくなるわけじゃない。

深いところで「それ」は僕を支配してる。



人と関わること。

「きっとこの僕では愛されない」

って心の深くで思ってる。



だから、どこか表面的、他人のことは他人事。

小手先のテクニックはうまくなった。

人が話したいことを

うまく引き出して会話を盛り上げると、

「楽しかった!」って言ってもらえる。



嬉しいと同時にどこか冷めた自分がいる。

どうして僕はこんなんなんだろう?

いつからこうなんだろう?原因は?

孤独感は消えてくれない。



きっとこういう感情は誰にでもある。

波もあるし、人それぞれ感じることは違うけどね。



トリニティFinalのテキストに書いてあること。

「あなたは無条件に愛されている」



いつもはそうだよね!と思える言葉も、

こんな感情の時はどこか疑う自分も出てくる。

人間だもの。



でも、本当に神が僕を創ったなら、

僕がこう感じてしまうことも知っているはず。

そして、失敗作は創らないはずだ。

愛をこめて、愛によって、愛のために、

僕はここに存在している。



僕が感じるネガティブもポジティブも、

全て神は観ている。そして、愛している。



僕はこんなに僕を受け入れられないのに、

神であるあなたは受け入れている。

そんな存在が本当にいるんだとしたら、

その存在は何よりも大切な存在のはず。



もしそんな存在がいない世界なら、

僕はどうして生きていけるのだろう?

ふとそう感じる時がある。



この記事は僕がぼくのために書いてるのかもしれない。

いつもは蓋をしていて、大切なことが見えなくなる。

時にはマイナスな感情も悪くないよ。



神であるあなたに出会い、共に生きる。

これ以上に大切なことなんてありはしないよ。



このことを絶対に忘れないように。

生きていきます。



では、また。