もうかなり前の話しですが

大変感銘を受け

私の「心の大図書館」に しっかりと収められたお話しから、ご紹介しようと思います




ある夕方、娘がふいにつけたテレビで

お笑いコンビ爆笑問題「太田光」さんのお母様の訃報を伝えるニュースが流れていました




インタビューを受けて答えられる太田さんのお話しの内容に、私はひどく胸を打たれ 涙が溢れ出ました

太田さんのお母様の脈拍が下がり始めた時…

太田さんは、急いでお母様の耳にイヤホンをつけ

お母様が大好きな「バラ色の人生」と「愛の讃歌」を聴かせたのだそうです




「ぴったり2曲聴き終わった後、心臓の数値がゼロになりました。

これまでの人生で、母の口から人の悪口だとか弱音や弱気…痛いとか苦しいとか…

そういった言葉を一度も聞いたことがない。旅立ちも惚れ惚れするようなものでした」

と、太田さんは語られていました




太田さんのお母様が

我が子に見せた「散り際までも美しく見せる」心意気

その「心意気」は

理屈など超えて

太田さんの心に「高き誇り」を刻んでくれたことでしょう

その美しさに涙が込み上げたのです




…ですが、今日のブログは、ここで終わりではありません

私も娘を持つ1人の母親ですが

私自身は、娘に対して

自分のお腹が痛い時には

「お腹痛い~!触って~!」と娘にせがんだりするし

仕事のことで、軽く弱音を吐いたりもする母親です




そこには、私なりの考えがあるし

太田さんのお母様を心底尊敬すると同時に

だからといって「そうはなれない自分を責める思考」はありません

(今は、SNSもだいぶ普及して
「スゴい誰か」を知る機会は多いですし、それによって「自分を責めていくかた」も増えているように感じております)



太田さんのお母様に関して言えば

私は到底、そうはなれないし、なりたいという憧れも持っていない

(厳密に言うなら、散り際はキレイにしたいので そこは心底憧れます。だから目指していくつもりです)




「自分は、違う」という想いと同時に

「そんなにも清く正しく美しく強く」生きることが出来るそのかたに、

その「存在自体」に、心から感動し感謝が溢れているという想いが同居しています

「自分は、違う」

それは 開き直りや負け惜しみなどではありません



それこそが

「みんな違ってみんないい」

なのではないかな…?と私は感じています




スゴい人を見て

「なのに私は…」と思ってしまうことを否定はいたしません

それも、かけがえない「自分流の捉え方」でしょう

けれど「誰かが素晴らしいこと」が、「自分を責める原因」になることを 「私は、」悲しく思います

「自分責め」で奮起出来るなら、それもまたひとつのエネルギーなのかもしれませんが…




もしかしたら

そのような思考が生まれる時

それは

「自分は、どう在りたいのか?」

という部分が曖昧だ、ということを知らせているかもしれません

わかっているつもりでも、「心底、腑に落ちていない」のかもしれません




曖昧であることが悪いわけではありませんし、すべてがプロセスかもしれませんが

長いようであっという間の人生…

「どう在りたいのか?」のテーマが決まると、生きやすくなるかもしれませんよ




そのテーマはけして大それたことでなくてもいいし

大それたことでもいいし

変わってしまったっていいよね?とも思います

場面ごとに決めてもいいかもしれませんね

「自分はどう在りたいのか?」

良かったら考えられてみてくださいね…!

そして心底、腑に落とせるテーマをみつけられてくださいね!




ちなみに

ブレンダ・リーの「愛の讃歌」

私も大好きで

時おりムショウに聴きたくなり

CDを大音量で流す曲のひとつです


with Life MariaTree

中和田美穂