しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

(コリント第二3:14~17)

イエスさまはあなたの宝のあるところにあなたの心もあると教えてくださいました。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

(マタイ6:21)


あなたにとってイエスさまが本当に、すべてのすべてであるならイエスさまに心を向け、いつも話しかけましょう。


もし、あなたが光の中にいるならばです。


このすすめを信じられないなら、つまりこの話を聖書的でないと思うなら、あなたは今なお、闇の中を歩んでいるのです。

もし、あーそうか、そうだったんだと思う人は主に感謝してください。

あなたは真の自由(罪からの解放)を体験するのです。

罪ってなんですか?

的(まと)はずれですね。

では、だれが的(まと)ですか?