一神の愛は神が啓示してくださる一

もし、聖書から「神は愛です」と書いてあるのを読んだとしても、神がその人に意味を啓示してくださらない限り「神の愛」が、どんな愛なのかをわたしたちは知ることができません。

イエスの十字架における愛がどんな愛なのかは分からないのです。

わたしが、神から受けた啓示は「真実の愛」だということです。

この真実の愛をわたしは最近まで実は知らなかったのです。

聖書の知識をひと通り持っていてもです。

イエスさまは真実の愛をもってわたしを愛してださった


このことを知って聖書に書かれている次のことばをわたしも共有することが出来ました。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによってわたしたちに愛がわかったのです」(ヨハネ第一:3.16)


以下はパウロの手紙です



十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

それは、こう書いてあるからです。 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、 賢い者の賢さを意味のないものにする。」

知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。

そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。

すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。

ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。

それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。

「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

(コリント第一1:18~31)