さくっと飲んで意識や理性が損傷しないうちに帰宅。
近所に行きつけのバアがあるかどうかで人生は変わるもの。
さてさて
後篇では9月9日からの沖縄公演に触れると致しましょう。
出発当日、東京はまだ残暑が厳しく日差しもそれなりの強さ。
東京が寒ければ寒い程、天候が悪ければ悪い程、南国の有り難みは変わって来る。
と云うのは遠征慣れした胞子達なら同意してくれるんじゃ無いかしら。
結果として
羽田
那覇
と云うこのザマだった訳であるが、それでも行ってしまえば確実に楽しい事が起きるのが沖縄。
初日はお馴染みアウトプットにて此方でございました。
最早ごちゃごちゃ語る必要もあるまい。
あのMODA SEAが。
満を持して開催の
おきなわゲテモノ祭り MODATICFEST 記念すべき第1回と云う事で。
他に幾らでも適任バンドは居るであろうにわざわざ東京からキノコを呼んで下すった訳。
コピバン トリビュートバンドに此処まで魅せられた事は無く、ファン SLAVEを公言するようになって幾年か。毎回沖縄を訪れる度にメンバーの皆んなには大変お世話になって居る。
この日の出演者の中には、4月のスナック東雲に華を添えてくれたDX×DX(4月18日付の業務日誌を参照の事)も居て、楽屋はカオス。荷物置いたりメイクするスペースもありゃしない。
なのにまあ良いかと思えてしまう南国マジック。
アンコールで突然、「本日の出演者カモーン!!」と下田が呼び込みを始めた時ワタクシはビール片手に客席の後ろの方に居て、
「そう云うのは予め言うものだろうがー!!!」と内心呆れたのだが、そう此処は沖縄。
結果ほぼスッピンに眼鏡、V系バンドマンのオフ日さながらの出で立ちで登壇する羽目に。
そう、東京ではあり得ないような事が此処では次々と起きるのだよ。
翌10日は、G-shelterで松永天馬チームと合流。
すると、現地調達したサポートメンバー2名が諸事情により来れなくなったと言う。
「あんた、やっぱり持ってるわねえ」とゲラゲラ笑って居ると、本人らも最早開き直りの境地。寧ろオイシイとばかりに喜んですら居るように見えた。
これぞ、10年選手の逞しさ。
打ち合わせして出順を変え、天馬ソロのアンコールで演る事になって居た「好き好き大好き」を急遽うちの従業員に覚えてもらって本番では事なきを得た。
ジュリ島が元々ダブルヘッダーで天馬ソロでも弾く予定だったのは不幸中の幸い。
(天馬には今後、何かに付けてこの事を引き合いに出して強請りのネタにしようと思うわ)
キノコの制服は、沖縄では初披露の「恍惚」期(2011)のもの。
アンコールでお着替え。
翌日はキノコチーム、天馬チーム、OAを務めてくれたぼけちゃん(ヒミツノミヤコ)、現地の友人らと久高島へ。
この日も昼前まではスコールが凄まじく、ロハスな休日は絶望視されて居たが
フェリーが着く頃には雨雲も退いてくれて漸く南国らしい気候に恵まれた。
クタクタになるまで飲んで食べてはしゃいで、キノコホテル怒涛の実演ウィークは大団円を迎えましたとさ。
また来よう、と思える場所が沢山ある自分はつくづく幸せだと思う。
でもそんな場所にも、そして今自分が居る場所にも何が起きるかは本当に分からない今日この頃。
せめてワタクシは目の前の事を精一杯やって、喜んでくれる胞子達に一人でも多く会いたいと思って居る。
先だっての北海道胆振東部地震では、道内に住む友人に連絡するも暫くリアクションが無く、2日ほど経って「漸く携帯が使えるようになったがまだ停電中だ」と返事が来て、事の重大さを思い知った次第。
無力な自分に出来る事など限られて居るので、せめてと思い大した額では無いが募金をさせて頂きました。
早く皆様が、日常を取り戻されますように。
羽田からのリムジンバスを降りた途端、寒さに身震いしながら嚔を一つ。
嗚呼、夏が逝ってしまった。
秋からのキノコホテルにも乞うご期待。
ではまた
ご機嫌よう。