海外の生活の不便さ、サービスの悪さ、を不満に思ったりするものです。
日本に比べてより優れた部分があったとしても、一時は快適に思うものの、
それにはすぐに慣れて、感謝する気持ちは徐々に無くなり、
逆に、日本の生活に比べて低下した部分は、なかなか受け入れられず、
苦に思って生活します。それが、長く海外に暮らして行くと、
最初苦に思っていた事にも諦めがついて、段々気にならなくなり、
寒さも、暑さも、食べ物も、サービスの悪さにも、色々な不都合も、
当たり前の事として、ヘッチャラになります。
最初はたくさんあったこだわりも、どんどん少なくなって、
最後には、「これだけは絶対に譲れない」物だけ残ります。
私の場合、そして、たくさんの日本人にとって、絶対に譲れないのが、
お風呂。
これだけは、どんなに長く住んでいても忘れる事は出来ません。
お風呂=温まる、リラックス、という構図は、
西洋ではあまり一般的ではなく、お風呂=リラックス、というのは、
ジャグジーであるとか、キャンドルと泡のお風呂、とか特別な場合で、
あまり日常的な事ではありません。西洋の考えでは、お風呂=洗う、
なので、お風呂でする事は一つ。「洗う」事です。
洗うとなれば、座りながら洗わなければならない湯船より、
シャワーの方が断然機能的なわけで、シャワーが家にない場合を除いて、
殆どの人は、シャワーで済ませます。また、お風呂の入り方も、
「極楽極楽〜」とお湯につからずにはいられない日本人とは違い、
お湯が冷めてしまう前に、速攻で洗い終え、お湯から出ます。
温かいお湯を常にたし続けたり、追い炊きしたりする習慣がない為、
(追い炊き機能がない)、お湯が冷たくなる前に洗い終え、
出なくてはならないので、お湯につかっている時間もあまりないのです。
寒い日に身体が温まる事なく、冷めたお湯のお風呂からあがることは、
「お風呂版天国と地獄」の地獄に近い、とても堪え難いものです。
シャワー中心のお風呂だからといって、泡風呂、ジャグジーが、
嫌われているわけではありません。むしろ、好まれています。
「リラックス風呂は、良いものだが、贅沢なもの」という理解であり、
「持てれば、持ちたいもの」のリストには載りながらも、優先順位は低く、
また、忙しい生活の中、風呂は時間をかける所ではない、という考えが強く、
「風呂を大事にする」日本人とは感覚が違う事が分かります。
そんな事情に屈する事なく、海外住まいの日本人にとって「風呂」は、
重要な位置を占め続ける、どうしても諦められない物のひとつです。
フランスに住む友人は、家の改造の時に、風呂/風呂場も改造し、
湯船の外に洗い場を作りました。
イギリスに住む友人は、毎日お風呂に入っていたところ、
水道代がご近所に比べ高額になった為、水道会社に家の水漏れを心配されて、
点検されたことがありました。
アメリカの湯船のない家に住む友人は、シャワー室の排水口を塞ぎ、
お湯を溜めることで、お風呂に入る事を果たしていました。
年月が過ぎて、お風呂に対する執着は冷めるどころか、
増々熱くなって来ている今日この頃。