以前読んだ『いま、ここに生きる』ヘンリ・ナーウェン・著 / 太田和功一・訳を再読している。付箋がめっちゃ貼られてて(笑) 印象に残った個所をシェアできたらうれしく思います。
3章―苦しみ
6.自分の傷から踏み出る
私たち人間には、多くの苦しみがあります。すべてとは言えないにしても、その深い苦しみの多くは、愛する人々との関係に由来します。いつも気づかされることですが、私の深い苦悩と苦痛は、新聞で読んだ惨事とかテレビで見た恐ろしい出来事によって引き起こされるのでなく、毎日の生活を共にしている人々との関係から来るということです。私を愛する男性と女性、私にとってとても親しい人々が、同時に私を傷つける人でもあるのです。
年を取るほど私たちが気づくことは、自分がいつも十分に愛されてきたわけではないということです。私たちを愛してくれた人々が、私たちを利用することもよくありました。私たちを世話してくれた人も、ときに私たちをねたむことがありました。私たちに多くを与えてくれた人も、ときには多くのお返しを求めました。私たちを守ってくれた人も、せっぱつまったときは私たちを所有物であるかのように扱いました。
そのために私たちはときどき、自分がどのように、またどうして傷ついたか振り返って整理しなければと感じます。そうすることで、私たちが受けた愛は、考えていたほど純粋でも単純でもないことを発見して、愕然とさせられることが珍しくありません。
これらのことを心の中で整理してみることは重要です。とくに、恐れ、不安、また理解できない暗闇の衝動によって心が身動きとれなくなったときには、とても大切です。
しかし、私たちの傷を理解するだけでは不十分です。最終的には、自分の受けた傷から踏み出る自由と、自分を傷つけた人を赦す勇気を見出さねばなりません。実際、怒りや恨みにとらわれて身動きできなくなる危険があります。そうなると、私たちは「傷ついた人」として生きるようになり、「この世は不公平だ」といつも愚痴をこぼしながら過ごすことになります。
イエスは、このような自己破壊的な不平不満から私たちを救うために来られました。イエスは言われます「あなたの不平不満を捨てなさい。あなたを満足に愛せなかった人を赦しなさい。拒絶されたという気持ちから一歩踏み出しなさい。時分には何の価値もないという底なしの空しさにおそわれることはもうなく、神はその愛であなたのすべての傷を癒し、あなたを安らかに抱いてくださることを信頼する勇気を持ちなさい」