センターに入った
犬猫達に
心を寄せて
面倒をみている
人達の毎日は
センターに入っている
犬猫達と同じくらいに
過酷ではないかと
思えてなりません。
 
誰かの
身勝手の為に
毎日、心を殺すように
生きている人達がいる。
 
センターから
出れる命と
出れない命の差なんて
人間の都合でしかなくて
選ぶことすら
罪作りな気持ちになるのは
想像に難くありません。
 
センターに
収容されるまでの
過酷な彼らの日々と
センターに
収容されてからの
過酷な彼らの日々。
 
誰を責めたり
憎むこともなく
ただひたすらに
与えられた環境に
耐え忍ぶ姿を
見ていても
知っていても
何の痛みも
感じない人間が
この社会には
ゴロゴロといて
尽きることのない
欲望のままに
生きているのです。
 
罪なき命を
意図的に
または無自覚に量産し
都合次第で
奪い去り
場合によっては
病気によって
淘汰させていく。
 
命に痛みを
感じない人間は
どこまでも
無傷なままで
お花畑を
走り続ける。
 
家庭、そして
地域社会の中で
溢れた犬たちを
受け止めているのが
各地域にある
愛護センターです。
 
愛護センターをめぐる
人と犬猫達の
悲しみを無くすためには
センターを
なくすのではなく
家庭、そして
身近な地域社会の中で
犬を溢れさせないこと
しかありません。
 
犬猫は
私達人間にとって
家族であり
相棒であり仲間。
可愛くて
愛おしくて
いてもらわなければ
ならない大切な存在。
 
だからこそ
犬猫達には
野良暮らしや
逸走という苦労を
人には多頭崩壊という苦労を
させたくないのです。
 
避妊去勢の徹底
逸走防止の徹底を含む
飼養者教育が
義務教育のように
社会の隅々にまで
行き届かない限り
現状の変化を
望むことは出来ません。
 
中でも
未来の社会を担う
子供達に
犬猫達を通しての
命と心の教育は
犬猫達の命を
救うだけではない
大きな社会的意義を
持つものだと
確信しています。
 
無知と欲が引き起こす
悲劇を未来に
引き継がせないために。
人にも犬猫にも
全ての心や命に
優しい社会にしていくために。