身寄りのない

犬一頭を保護して

管理することだって

到底片手間では

出来ないことです。

 

そんな簡単なことさえ

想像も出来ない人に

愛護を語る資格なんて

微塵もありません。

 

嫌な言い方に

なりますが

もしも

寄付することで

自分の願望を

叶えるための手足を

獲得したなどと

考えるような

尊大な感覚が

少しでも

混じるとするなら

金額の大小

活動の大小問わず

寄付そのものの

意味合いや

こうした活動の

本質は

微妙に色合いを

変えていって

しまうような

気がします。

 

「愛護団体のくせに」

「寄付で活動

        しているくせに」

 

身勝手な

個人放棄の

飼い主からの

問い合わせに

応じかねることを

伝えた際に

捨て台詞のように

投げつけられる

言葉ですが

行政の

トップ自体が

似たようなマインドで

そんな風に

思っているのかと

疑わざるを

得ないような

扱われ方であるとも

言えるのです。

 

自分の身に

置き換えて見て下さい。

 

真摯に努めても

報われず

謀略や

理不尽さばかりが

まかり通っていくなら。

 

せっかく

保護された

犬猫達の

命を守るために

どうしても

避けたかった
懸念や危惧していたことが

その通りに

なってしまったなら。

 

どんな場合でも

自らが真摯な

心持ちでいなければ

相手の本質を

見極めることは

出来ません。

 

だからこそ

手を止めることなく

耐えていたのに。

 

元も子もなくなる

緊急事態

なのにも関わらず

いまだに

法律や

議員の顔色や

無責任な人間の

大声ばかりに

囚われて

責任をたらい回しに

している。

 

行政トップの

この危機感のなさは

人間の命に対しても

同じ熱量であると

断言いたします。

 

この瞬間にも

犬猫達の命は

消えていっているのです。

 

関わる全ての人間が

広い視野で本質を捉え

今を乗り切ることが

叶わなければ

動物行政の未来や

この国の未来は

暗澹たるものになります。