一昔前私の育った実家でも
やはり犬は外で飼うものでした。

家の中で一緒に
暮らす事は許されず
一緒に寝たければ
私が犬小屋の中に
入るしかありませんでした。
家の中に入れられるのは
嵐の夜の玄関まで。

いつか大人になったら
家の中で好きなだけ
犬猫達と暮らしたい
それが私の夢でした。

今は室内飼いが
当たり前の
世の中になりました。

繋がれた状態での
外飼いも、
犬だけの自由散歩や
猫のパトロールも、
今となっては
恐ろしくて
絶対にさせられません。

でも一昔前は
そんな子が
そんな飼い主が
たくさんいたのも事実です。

都内から
2時間位行ったところでは
まだ、その時代が
人々の意識の中で
続いています。

確かに都内から見たら
車の数も人の数も少ないので
危機感がないのは
仕方がないと思うのですが
現代の脅威は
そうした犬猫達の
存在を許さない
一部の人間の
悪意である
場合も多いのです。

犬猫達に対する
虐待行為が
全国で
後をたちません。

私たち動物や
犬猫が好きな人間からすれば
あまりに考えられない
痛ましい話ばかりです。

室内で常に
目の届くところに
犬猫を守り置くと言うのは
飼い主にとって究極の
責任だと思います。

猫が外に
出たがっているから。

リードしてたら
かわいそうだから。

首輪はかわいそうだから
緩めで大丈夫。

1人で行っても
帰ってくるから。

ここら辺は
車がいないから。

そんなに悪い人は
いないから。

言い訳は
山のように返ってきます。
でも、何かあった時
可愛がっていた
その子が
一番助けて欲しい時
あなたは
そばにいないのです。

そして
いつまで待っても
もう二度と
その笑顔は
戻って来ないのです。

そんな
出来事が起きるのは
今日かもしれないし
明日かもしれません。

トライアルの
お届けに行ったとき
おうちの中を見回して
脱走防止策を
しつこく
お願いすることが
多々あります。

まさか
そんなところを
抜けていくなんて。

まさか
あれを壊して
出ていってしまうなんて。

そんな
「まさか」が起きて
悲しいのは里親様であり
そこまで手塩にかけてきた
たくさんの
ボランティアの皆さんであり
新しいお家に
安らぎを得ていた
その犬自身かもしれません。

保護犬猫でなければ
そうした心配を
する人達は
飼い主の他にはいません。

逃してしまうことも。
外飼いしていることも。
リードをせずに
自由を満喫させることも。
好き勝手なお出かけを
よしとしてしまうことも。

飼い主側が
どんなつもりであったとしても
犬猫達を様々な危険や
目に見えない
悪意に晒す事態であることに
変わりありません。

ご機嫌取りは
本当の愛情では
ありません。

その子の安心と安全を考えて
何が最適で
何が最善かを考えるのが
飼い主の本当の役目です。

子供が赤信号で
道を渡ろうとしたら
みんな止めるはずです。

子供が可愛いからと
赤信号渡るのを許しますか?
言っても聞かないからと
何も見ずに道路を渡ろうとする
その手を離しますか?

愛情を履き違えないことが
最大の愛情です。

だって、
いつも大丈夫だから。

それはたまたま
運がいいだけの話です。
昨日大丈夫だったとしても
今日や明日が大丈夫だとは
限らないのです。

犬猫達に自由を!
と言う気持ちから
出入り自由の外飼いや
ノーリードの散歩を
する人達もいます。

声を大にして言いたい。

犬猫の安心と安全を
担保出来ない状況に
楽しい自由はありません。

飼い主の
中途半端な優しさは
ご自身のため。
犬猫達を守るためには
彼らに対してというよりも
自分自身に対しての
厳しさが必要なのです。