犬猫を簡単に捨てる人。

虐待する人。

生まれたばかりの子猫や子犬を

山や川に投げる人。

 

時代錯誤と思われる感性は

どこから来るのかと

考えて行き着くのは

「教育」です。

 

教育はその時代に必要な

価値観を反映します。

 

戦中

戦後

昭和

平成。

そして、令和。

 

元号が変わります。

新しい時代に

求められている価値観は

どんなものになるでしょうか。

今の子供達に

命を投げさせるような教育を

してはいけない。

心を投げさせるような教育を

してはいけない。

 

古びた価値観で

凝り固まった人達の頭の中に

犬猫達の優しい眼差しを

とめどもなく流し込みたい。

 

だって、そんな年頃の人達にこそ

彼らが必要だと思うから。

 

食べるのに苦労した時代の人達

お金儲けが

何より尊ばれた時代の人達

その人達の価値観の優先順位。

 

犬猫達の顔が心が

見えていない人達に

彼らの持つ

真の価値を知らせたい。

 

彼らは

「何もしない」

ということを

「してくれる」

稀有な存在です。

 

考えてみて下さい。

どんな人にも

彼らは、じっと

寄り添ってくれます。

 

お金を払っても

それを望む人が

いるような世の中です。

 

彼らは

頼まれもせず

文句ひとつ言わず

いつもそばにいて

ニコニコしています。

そしてひたすら

スヤスヤ寝ています。

 

一緒に寝て、起きて、食べて、歩く

ただそれだけで

私達をこんなに

穏やかで豊かな気持ちに

してくれるのです。

 

彼らの言葉を通訳します。

 

バカ犬と呼ばれた犬の

本当の気持ちを聞いたら

もうバカなんて言えなくなります。

もう、彼らを山や川に投げたり

したくなくなります。

 

そんなことを

しなくても

いい方法を

考えたくなると

信じています。

 

子供達や

お年寄りには

じっとそばにいて

近くで安らかな寝息を

立ててくれる

存在が必要なんです。

 

犬や猫の姿に

自分の姿を

見つける事ができたなら

犬の気持ちを知ることなんて

ちっとも

難しいことではないのです。

 

出来ないなら

通訳します。

 

私達はこれまで

全部、彼らのせいにして来ました。

躾なんてしなくても

犬達はわかっているのに

彼らをバカにすることで

生活が潤う人達が

この国には

あまりにも多かった。

 

こんなに賢い生き物なのに

学ばなければならないのは

私達人間の方なのに。

 

悔しくて

悔しくて

頭にきます。

 

使役犬がそんなに偉いですか?

血統証がそんなにすごいですか?

小さい。それに

そんなに価値がありますか?

 

刷り込みと思い込みから

解放されれば

彼らの心は

もっともっと近くなります。

 

彼らの真の姿が

見えていない人達が

まだまだ

たくさんいます。

 

こんなことを言うと

頭がおかしいと思われても

それを黙っている方が

頭がおかしくなりそうだから。

 

この際

ハッキリ言いますが

犬猫の問題は

「犬猫達」の

問題ではなく

私達人間の

「心の問題」です。

 

犬猫達は私達にとって

一番身近な

「自然」そのものです。

 

彼らの瞳の憂いは

自らの命に

向けられたものではなく

私たちの命に

向けられているような

気がしてなりません。

 

彼らを可哀想と

言っている私達こそ

彼らに心配されるほど

心をおざなりにし

あらゆる繋がりを

捨て去りかけていることに

気付くべきなのです。

 

この気付きは

彼らとの

対話で取り戻せます。

もっと言えば

彼らとの対話でしか

取り戻せません。

 

彼らに訓練をして

セラピー犬をなんて

 

一見、見窄らしい姿をした高僧に

お経を教えるくらいに

愚にもつかないことです。

 

教えなくたって

彼らは

何が幸せかを知っています。

 

何にも話さなくても

何にも楽しいことをしなくても

私達にとって

何の価値もなさそうな

平凡な一日を

彼らは、何もない

幸せな一日だったと

受け止めて

眠るのですから。

 

彼らの中に

自分を見つけるのは

大人よりも

子供達の方が得意です。

 

どの時代も

子供達の正義感は

本物です。

 

子供達に伝えるべきは

可哀想な犬猫の話ではなく。

私達人間にとって

素晴らしい仲間である

犬猫達の話です。