優しさから・・・と
書きましたが
結局のところ
崩壊に至る原因は
動物を飼う人間の
欺瞞や驕りや
エゴでしかないと
感じています。
話のわかる人や
本当に動物を
大切に考えている人ならば
ギリギリのところで
SOSを発信するか
その繁殖力に
その破壊力に
「恐れ」を
抱くことが出来る
だから、
崩壊には至らない。
しかし
自分自身の心の世界に
埋没し続けている人達は
世界の中心は
自分にあって
自らを
省みることなく
全てを他人や
社会のせいにする
というのを
正義に
しているのだから
そもそも
話が噛み合う訳が
ありません。
人間の心の問題の
根深さに正直なところ
嫌気や途方にくれるような
無力感を感じてしまいも
するのです。
都内近郊。
地方都市。
あらゆる地域で
崩壊を控えた現場が
いくつもいくつも
存在していることは
もはや想像に
難くありません。
一人の人間の暗く
大きな深い心の穴に
引き摺り込まれた犬猫達と
そうした事案が明るみに出るたびに
誠実に命と向き合おうとする
多くの人々の日常が
理不尽に翻弄されていく
こんなイタチごっこが
いつまで続けられるのか
絶望的な気持ちにもなります。
犬や猫は可愛い
犬や猫が可哀想。
当たり前です。
そんな、そんな、そんな
当たり前な感情を
偉そうに
振りかざさないでほしい。
そんな当たり前なことを
恥ずかしげもなく
大声で言えるのは
そもそも彼らのことが
好きでもなんでも
ないのではないかなとさえ
思ってしまうのです。
可愛くても
可哀想でも
元を断たなければ
ダメなのです。
そして、何より
彼らを愛し護ると
言うからには
頭数管理の行き届いた
適性な飼養が
どんな場所においても
実施されていなければ
人の安全も
犬猫達の安心や
健やかな成長も
確保されないことを
絶対に忘れてはならないのだと
思い至っております。