動物を愛し

大切に思う私達は

物言えぬ彼らの分まで

礼儀や節度を

心掛けて

いなければなりません。


動物愛護を

突き詰めたなら

人間愛に

辿り着きます。


人間愛が

行き渡ったなら

動物愛護は

至極当たり前の

ことになります。

 

 

彼らは

誰かが

傷ついたり

貶められたり

いじめられたり

我慢したり

涙することを

好みません。

 

なんで

そんなことを

するの?

 

彼らは智慧に溢れ

機知に富んでいますから

人間達の諍いや苦しみに

いつも首を

かしげているのです。

 

彼らは

人間の

心を映す鏡です。


ここ最近に

頻発している

多頭飼育崩壊は

飼い主である

人間の

心の崩壊。


飼育放棄は

セルフネグレクトの

始まり。


彼らの幸せは

私達の心次第。


 

ところで

ご存知でしょうか。

 

愛護センターという

カーテンの

向こう側には

私達市民の

後ろ姿が

あることを。

 

目に見えない無数の

社会に渦巻く

無知な欲望や

要望の果てに

行政や

センターや

殺処分があることを

私達は忘れてはなりません。

 

愛護センターは

カーテン。

 

責められるべきは

カーテンで

尻拭いをして

涼しい顔をしている人間達です。

 

犬猫の命をお金に見立てる者

持て余した感情や欲求を

犬猫で晴らそうと試みて失敗した者

 

完璧な人間はいません

だからこそ

自分自身のあり方や行動を

注意深く

見ていかなくてはならないのです。

 

正義は

一つではありません。

真実も見る視点によっては

その意味を

大きく違わせて

しまうこともあります。

 

世の中は

理不尽さに溢れています。

犬猫に限らず

私達人間だって同じです。

 

感情的になって

訴えたところで

一体何が

変わるでしょうか?

そして

誰の心に響くでしょうか。

 

それが許されるのは

泣くことしか出来ない

赤子までです。

 


命を守るためには

命に対する

一人一人の

感性の育みを

促すことしか

ありません。


その育みに

必要なのは

棘ではなく

すべての

命に対する 

感謝と慈愛です。



カーテンの質や色や柄を

問うている場合ではないのです。

 

カーテンの下

ひとときの

雨宿りをする彼ら。

 

その彼らと、

過ごす

一瞬一瞬に

心を砕きながら

黙々と

お世話する人達の

押し殺された

心の叫びにこそ

耳を傾けるべきです。

 







節度や礼節

他者への思いやりを持つ

健やかな心や愛があって初めて

人と犬をはじめとした

動物達との穏やかで

清廉な共生が育まれていくのです。

 

愛の本質を知らない人が

愛と執着を

間違えます。

 

彼らの命を守るという

大義のもと

鋭くて切れ味のいい

言葉に心酔し

正邪も見極められないまま

そうした言葉を

人々に振りかざしては煽り

憂さ晴らしのように

人の心を

切り刻んだり

搾取しようとするのなら

そうして

自らが産み発した

刺々しい言魂により

いつの日か

疑心暗鬼という鬼が

心に住みついてしまいます。

 

犬や猫の命を盾に

人の善意を隠れ蓑にして

自分のために

誰かや何かを

利用したり

搾取したりできるのは

愛の深さも

知らないどころか

愛自体が

そこにはないと

気づくべきなのです。

 

愛護が愛誤にならぬよう。

自戒を込めて。