犬を飼っていると
誰でも
日々、何かしら
あります。
完璧な人も犬もいません。
犬との時間は
思うより
ずっと、
限られています。
失敗ばかりだったとしても
諦めなければ
いつか笑い話になります。
試しに、犬の寿命が
15年だったとして
自分の犬の今の年齢を
引いてみて下さい。
ルイスなら
あと五年。
ルイスが
大型犬であることを
考慮すれば
五年もないかもしれません。
五年✖️365日✖️毎日二回の散歩
としても
一緒に歩けるのは
数え切れるほどの
回数でしかありません。
私が、雨の日も風の日も
お散歩を頑張るのは
犬のためではなく
いつの日かの旅立ちの時
私自身が
後悔をしないために
必要なことだと
知っているからです。
飼い主さんの中には
犬の世話
なかでも
特に散歩を義務的な感覚で
捉えている方が
多いように感じますが
犬との暮らしの醍醐味は
毎日の散歩にあります。
もし、散歩が
苦痛で仕方ないなら
今すぐに
散歩の仕方や犬との暮らし方を
学び直すべきです。
犬には
悩んでいる暇はないのです。
また、私達は無意識に
彼らに様々なことやモノを
「与えている」気になっていますが
本当は
それ以上のものを
私達の方が
すでに十二分に
彼らから
与えられているのです。
犬達は人間なしには
生きてはいけませんが
私達人間だって
本当は犬のいない生活なんて
考えられないのに
「犬との暮らしを失った時代」を
過ごしてきただけ
なのかもしれません。
お世話させて貰えている
一緒にいて貰えている
お互い様に。
亡くなってからでなく
いま、この瞬間に
共にいることを
素直に感じ
感謝しながら
犬と暮らして欲しいと
願わずにはいられません。
そんな気持ちの延長に
穏やかな
看取りがあります。
私は彼らが
先に旅立つことを
すでに赦しています。
だからこそ
彼らを穏やかな気持ちで
看取らせて貰えるように
雨の日も
風の日も
もちろん
澄み渡る青空の日にも
彼らと共に歩くことを
やめられないのです。
命に限りがあることを
彼らは教えています。
そして命には
上も下もなく
優劣もなく
ありのままで
ただ素晴らしいと言うことも
伝えてくれています。
そして生きている限り
前を向いて
誰かや何かのために
懸命でいること自体が
幸せの正体なんだと言うことも
教えてくれているのです。
彼らは
あまりに身近で
当たり前な存在になりすぎて
彼らという存在の
真の尊さを
私達はすっかり
忘れてしまっているのだと
つくづくと思うのです。
いつの日か
家族である彼らを亡くした時
今度は
行く宛てのない彼らの仲間達を
受け入れ助けることが
旅立った彼らへの恩返しであり
何より
私達自身の心を
救うことになると
知っていて欲しいのです。