ネット広告でアップされ
かなりの頻度でヒットして来る
幸せな終生飼養を謳った
引き取り屋でした。
所在地はまさに私の地元・・・。
知る限り
そんなに手広く犬を
集めておける場所など
思い当たらないような地域です。
ずっと気になっていた施設でしたが
やはり・・・想像通りの状態でした。
死ぬまでを
ただ待つばかりの場所でも
生きているだけでよしとする。
そんな価値観も
あるかもしれませんが・・・
自分の身に置き換えたなら
耐えられない仕打ちです。
代表のブログにアップされた
施設内の犬達の写真を
よく見てください。
「噛み癖」と書かれた犬達の
眼差しからは
小さな体いっぱいに
溢れるストレスで
押しつぶされている心が
透けて見えるようで
本当にやりきれません。
犬という動物を
正しく理解していないばかりに
犬をミスリードし
結果、手に負えなくなり
他人任せにする・・。
いつになったら
気がつくのでしょうか
犬は人を癒すための
道具ではないこと。
いつになったら
気がつくのでしょうか
人間と同じか
それ以上に純粋で繊細な心があり
常に私達の表情や仕草や声色から
あらゆることを
日々学び続けているということを。
いつになったら
気がつくのでしょうか
犬らしく
穏やかに生きるためには
人と同じように
我慢や理性が必要で
それを学ばせるのは
親犬代わりである
飼い主の役目だということを。
そして、何よりも
彼らの本来の
健全な心身の育成のためには
飼い主自身の学びと
成長が欠かせないということを。
もし
この施設に犬を託した方が
もし
この顛末を知ったとして
もし
我が子の今を知ったなら
どんな気持ちに
なるのでしょうか。
中には、泣く泣く預けた人も
いたかもしれないし
お金で厄介払いをし
素晴らしい謳い文句を
真に受けたフリをする人も
いるかもしれない。
こうした業者の
存在を否定し
断罪することは
愛護センターや
殺処分を否定することと
同じで
実は、とても
簡単なことです。
言うは易し
行うは難しです。
こうした悪辣な
業者がはびこる背景には
一般の飼養者からの需要が
存在していることを
忘れてはならないのです。
身勝手な言い訳に終始する飼い主
やむをえない事情で
利用せざるを得なかった飼い主
そうした人達のニーズを
この業者はただ
埋めただけなのです。
そうした
ニーズがある限り
今後ともこうした輩は
入れ替わり立ち替わり
存在し続けていくでしょう。
人生何が起こるかわからない
ある程度のリスクを
皆、持っていることを考えると
そうした事態に備えた
常識ある飼養者同士が
共助しあえる
セイフティーネットのような
仕組み作りが
一飼い主として
必要だとも感じています。
そして、そうした仕組みを
しっかり利用できるように
飼い主の一人ひとりが
犬を育てるに当たって
正しい知識を持つことが
当たり前で
簡単に出来る世の中に
していかなければ
ならないとも思うのです。