私達人間は

太古から

犬猫達の存在に

心を許し

癒されるという恵みを

賜り続けて来ました。


ただそこに

いるだけで

私達の心を

何も言わずとも

満たしてくれる。


本来ならば

大きな畏怖心と

感謝を持って

彼らと接しなければ

ならないのです。

先日、湘南で行われた

セイリングの大会で

世界の選手を前に

日本の主催者が

イルカショーを披露し

海外の選手から

大変な顰蹙を買ったことが

ニュースになっていました。


海に生きる

選手達にとっては

イルカは仲間であり

かけがえのない時間を共有する

大切な存在。


愛すべき海を

縦横無尽に

泳ぎ回るイルカに対して

選手の中には

神に対するほどの畏怖心を

持つ方がいることは

同じ生き物に

恩恵を受ける者として

想像に難くありません。


窮屈な水槽の中で泳ぐ

彼らの姿を見ること以上に

餌付けをされた上に

面白おかしく芸をさせられる

そんな彼らの姿に

ショックを受けると同時に

それを誇らしそうに

見せつけている人間の姿に

海外の多くの選手や関係者が

イルカを冒涜していると

憤慨したのです。


そもそも生き物を

面白おかしく見せたり

彼らの能力や見た目を

競わせたり

順位づけしたりする必要が

一体どこに

あるのでしょうか。


私達人間はあまりにも

傲慢な視線で

人間以外の動物を見ています。


私達人間は

どんなに頑張っても

彼らや自然に対して

完璧であることは

出来ないのにも

かかわらず

なぜそんな風な

振る舞いが出来るのか。


いわんや

今、私の隣で

寝息を立てている

我が家の犬猫達に対してさえ

自分自身の

不出来さを思うことはあっても

飼い主として

彼らを完璧に満足させている

などと思う事など

一生かけても出来ないと

思っています。


自分に対してさえ

完璧でない人間が

人ならずとも

他者に対して

完璧である訳がありません。


愛情が深ければ深いほど

相手を思い

できるだけのことを

自分はしてやれているだろうかと

不安になるのが普通です。


とはいえ

心配ばかりしていては

余計に相手を

困らせてしまうから

心配していない

そんなふりをすることも

愛情があればこそです。


そんな気持ちを

いつも抱いているからこそ

何気ない相手の笑顔や仕草

穏やかな寝顔が

何よりも愛おしく

輝いて見えるのです。


人や犬に限らず

自分の感情を

満たしたり

癒すことばかりでは

彼らの本願に

気づくことは出来ません。


相手を真摯に

思いやること。


それが

望む望まないに関わらず

何よりも

自分自身を大切に

幸せにすることに

繋がっていくのだと

思います。


そして

それこそが

彼らの本願であると

思わずには

いられないのです。