我が家の
お預かり・・も含め
六頭の猫達と
三頭の犬達。
そもそも
何千種も動物がいる中で
なぜ、犬と猫だけが
人間との暮らしに糧を得て
共に暮らせているのか
また、人間の側も
なぜに好んで
彼らと共に在ろうとするのか
その理由を
ずっと考えていました。
そんな中で
多頭での暮らしから
見えてきたのは
犬と猫
それぞれの社会性の違いです。
犬は自らの安全安心のために
「群れ」の一員としての
社会性を学習することで
生き抜こうとします。
他方、猫は猫で犬とは少し違う
独立性を保った社会を築いています。
わかりやすく言うと
同じ「村」に暮らす
個性豊かな村人のような感じ。
犬達は一つのルールの中で
人と共に群れとなり暮らし
猫達はそれぞれのルールで
人と共に村に生きる・・・。
仏教用語に
小我と大我と言う
二つの言葉があります。
簡単に言うと
小我は利己的
大河は利他的な
と言う意味を多く用いられ
小我をなくし生きることが
良しとされることが多く言われますが
一人の人間として生きるため
与えられた命を守るためには
本能的で根元的な感覚の元となる
小我の扱い方が
実はとても大切ではないかなと
思っています。
もちろんどちらも
「過ぎたれば及ばざるがごとし」です。
利己的になり過ぎても
利他的に生きようとするばかりでも
人は幸せになれない。
そうした人の心の働きを
考えている中で
ふと、犬と猫のあり方
そのものだなと
思うに至りました。
犬達は
人間社会で生きていくための社会性と
調和の素晴らしさを。
猫達は一人の人として
生きていくための独立性と
自分らしくあることの素晴らしさを。
彼らと縁した私達は
無意識のうちにも
そんな彼らの存在によって
心のバランスを日々保ちながら
より良く生きようと
しているのではないか
そんな風に思うと
いろんなことが
腑に落ちていくのです。
彼らには人間が必要だけれど
どんな人間の心も
例え彼らを嫌う人であっても
実は常にそうした存在を必要としている。
そんな風にも思えてくるのです。