その「命」や「死」が

数字で表された時

事の重大さは

私達一人一人にとって

一切の実感を伴わない

ただの数字でしか

なくなってしまいます。

 

「殺処分ゼロ」という表現が

頻繁に使われ始めた頃から

やはり

数字だけが・・・

独り歩きし始めました。

 

何千の犬猫の命を

助けたとしても

一頭一頭の命の有り様に

目が向けられない現実が

少しでもあるとするなら

その全ての行為そのものが

たった、一頭の犬の幸せすら

保障するものではないと

言っていることと

同じ事ことではないかと

感じてならないのです。

 

災害救助犬・・・

正直、犬を

人間の道具に仕立てること

人間の役に立つように育てることに

なんの意味があるのでしょうか?

犬を売り買いする人間と

何が違うというのか?


彼らは生まれながらに

私達に全てを委ね

全てを与えてくれているのに。

 

災害救助犬を称える社会よりも

災害時に彼らと共に

生きることの出来る社会を

私達は望むべきだと思っています。

 

災害時ではないのにも関わらず

家族のある犬猫

家族があったはずの犬猫が

路頭に迷うような

今の社会の現実自体が

なくならなければ

彼らを取り巻く様々な問題の

根本的な解決には

遠く及ばない気がして

ならないのです。