犬を扱う仕事をしている人や


愛護活動をしている人が


犬を正しく理解しているとは限りません。


 


犬のことで悩んだ時


頼るべき人は


誰がいるでしょうか。


 


今夜のクローズアップ現代。


 


動物関連の大きな団体顧問という方の


主義主張ばかりの的外れなコメントに


正直がっかりいたしました。


 


殺処分ゼロを


スローガンにしてしまった行政のあり方


それを裏支えする保護団体のあり方の


良し悪しを問うまえに


そうした事態を無くすための


シンプルな解決策になぜ言及できないのか


言及できない限りは


どんなに綺麗事を並べても


悪しき商習慣を持つ


ペット業界の一翼を担っていると


思わざるを得ないのです。


 


捨てる人をなくせば


保護される動物はいなくなります。


命を商品にしなければ


余剰という名の命が溢れることはありません。


飼いたい人と飼える人は違いますが


飼いたい人をきちんと飼える人に育てることは


国を挙げて考えてもいいくらい大切なことです。


 


愛護団体は行政の仕事の


下請け業者ではありません。


愛護センターの役割を


民間の愛護団体が担うことは


経済的にも物理的にも


どう考えても限界があります。


しかしながら、現実的には


殺処分ゼロを餌に


そうした役を担わされている団体も


少なくないのです。


その結果、破綻に


追い込まれる団体も出てきています。


 


愛護団体の果たすべき役割は


地域の愛護教育の拠点。


個人的には


これに尽きると思っています。


 


里親のみならず


地域の飼い主の心の拠り所として


商売抜きの率直で適切なアドバイスを


享受できる場所として


その存在は現実的に


社会一般から


求められているところだと感じています。


 


愛護団体には、各地から


犬猫のためにと


多くの人たちが集います。


様々な年代の


様々な職業の人達がこんなに集まる場所は


そう多くはありません。


 


その人達一人一人が


犬という動物に対しての


正しい知識と知恵を学びあい


自らの地域の中に持ち帰って


再発信していく


そうしたハブ的な人材の育成を


意識的にすべき時期に


来ていると思っています。


 


もしも、そうした考えが


ずっと昔から当たり前であったなら


愛護団体の現在や


犬猫達の状況は


もっと違ったものに


なっていたような気がするのです。


 


とはいえ、愛護団体も様々


そこに集う人も様々。


多種多様な価値観が溢れ


とても一枚岩とは言いきれないのが


愛護を取り巻く現状です。


 


犬を正しく飼える人を増やすためには


譲渡する側がそうした知識を


持ち合わせていなければなりませんが


愛護に関わる人と


犬を正しく扱える人が


イコールではないというのも


問題をより一層


根深いものにしています。


 


言葉を持たない


動物の心を知るためには


表情や仕草をつぶさに


観察することが欠かせません。


抱きしめてばかりでは


彼らがどんな顔をして


どんなボディランゲージで


どんな気持ちを伝えようとしているか


読み取ることはできません。


彼らとの真のコミュニケーションに


興味も持てず


犬を抱きしめずにはいられないというのなら


なんのために動物を飼っているかを


今一度、自問すべきだと思います。


 


その結果


物理的には飼えるけれど


飼う資格のない人になっていないか


自分の幸せを犬の幸せと


すり替えていやしないか


寂しさを彼らで埋めようとして


その代償さえも


彼らに払わせようとしていないかなど


自分自身に冷静に問いかけてみることが


犬を飼う上では


必要なことのように思います。


 


犬の幸せを本気で考えた時


その犬にとって


何が可哀想で


何が可哀想でないかを


しっかりと理解することも


犬と関わる上では


大切なことです。


可愛いからと


正しいことを教えることもせず


可哀想だからと


苦手なものを克服させるチャンスも与えずに


全て犬任せでいることが


本当の愛情だという人に限って


その犬が問題行動に至った時


犬を悪者扱い、バカ犬扱いするのです。


 


最後に・・


 


こうして書き連ねておりながら


私自身、日々我が家の犬猫達と向き合う中で


この子達は果たして幸せだろうか


私はこの子達を大切に出来ているのだろうかと


自問自答の日々を過ごしてもいます。


 


おそらくは、彼らの命が尽きるまで


どれだけ尽くしたとしても


私はきっとそう思い続けてしまう。


 


そうしたことだけを考えれば


大変なことだけれど


彼らと暮らすことで


得られることには


目を見張るばかりで


大げさに聞こえるかもしれませんが


そうした喜びや驚きの連なりが


やがては混迷する現代社会の


光に大きな支えになるとさえ


思えてならない


今日この頃なのであります。