人が生きていく上で
または、成長するために
必要な場所として
「サードプレイス」という
言葉がにわかに注目されています。
家庭
そして、職場や学校
それ以外の
第三の場所。
子供でも、大人でも
自身のパーソナルな面の
活動や成長を促し満たす場所として
意識的に求めていくべきだと
言われています。
義務的な集団ではなく
自分が好む
必要な目的の元に
似たような気持ちの人達が集う時の
独特な開放感は
他の社会生活ではなかなか
味わうことは出来ません。
家庭、職場や学校
そして
第三の場所。
家族、同僚や友人
そして
第三の人。
犬を飼うと
身近な場所に
自然と家族以外の友達や
顔見知りが増えます。
これは、多くの犬飼いの方達が
実感していることだと思います。
例えば
どんなに近所であっても
犬がいなければ
話すことなどなかったような
年齢も性別も
職業や役職も超えた人達と
毎日の散歩を通して
朝晩の挨拶をし合うような
犬飼い同士の
お付き合いが生まれたりします。
その中でも
とりわけ
犬に対する考え方や
育て方の似た人達が
自然と集まるようになります。
犬に対する考え方には
その人の人生観や
人間性が色濃く反映されますから
無意識の居心地の良さから
似たような感性の人が
自然と寄り集まるのは
不思議ではないかもしれません。
そうした、犬を介した
多様な繋がりは
犬達が旅立ってもなお
続くこともあり
それは、犬という動物がもたらす
慈愛に満ちた恵みの一つだとも
思っています。
家族や友人だけでない
人との繋がりを
たとえ、一期一会であっても
どれだけ大切にしながら
楽しめるかで
人生の色合いや深み
味わいは変わってくるような
気がします。
犬達には
差別やいじめという概念は
ありません。
それは高い社会性ゆえのもの。
犬達にあるのは
「共に生きる」
ただ、それだけなのです。
本当の意味で
犬を大切に思える人は
他人に対しても
深い思いやりを持てる人です。
意識や利害の外側にある
第三の場所と
第三の人。
私自身
一飼い主として
そうした
サードプレイスを
大切にしながら
その反面で
誰かにとっての
サードプレイスで在りたいなと
常々思っておる
次第なのであります。