犬を多頭で飼育することは
正直そんなに
難しいことではないと
個人的には思っています。
しかしながら
初めの一頭の手綱も
しっかり握れないとするなら
この限りではありません。
最近は大型犬の
多頭飼いも
増えています。
多頭にすれば
犬同士教えあって
上手くやってくれると
考える人も多いですが
初めの一頭の犬がもたらす
様々な情報を受け取る
人の側の
感性の育みがなければ
犬を増やしたところで
わからないことが
単純に増えて
いくだけなのです。
観察と経験に
勝る学びは
ありません。
実害があってもなくても
街中で犬を飼う以上
周囲に与える印象や
実際の行動に配慮することは
飼い主が意識しなければならない
最低限のマナーだと思っています。
小型犬がやって許されても
大型犬がやったら
全く許されないというのは
よくある話です。
例えば
犬が人に飛びつく時
小型犬のそれは
「可愛い」と受け入れるのに
「実害のありそう」な
大型犬にはダメと言う人は多いです。
大きくても
小さくても
犬は犬。
大型犬だから
小型犬だからと区別せず
犬の興奮を
しっかりと正して落とし
穏やかさを
獲得させ続けるという
人の覚悟が
犬の育ちを決める
分岐点かもしれません。
それは犬種に関しても
言えることです。
この犬種は
こうだから許すけど
あの犬種はああだから
許さないと言うのは
諸般の理由などわからない
犬からすれば
ただの一貫性のない
無秩序という理解にしか
ならないのです。
犬は育てたように
育ちます。
ちなみに
トラウマという言葉で
犬の過去に縛られるのは
大抵の場合
犬ではなく
人間の方です。
乱暴に扱えば
乱暴に育ちますが
どう振る舞うべきかを教えれば
穏やかさを身につけることは
何歳になっても出来るのです。
何故なら
穏やかな状態こそが
犬の本来の
姿だからです。
人間社会のあらゆる刺激で
取り乱す様に興奮している犬に
有無を言わさない穏やかさで
正して道を示すことは
犬の興奮を
瞬時に沈静化させ
犬自身の理解を早めます。
犬のしつけを
真剣に考えられない
人の中には
自分のことを棚にあげ
うちの犬は
バカだから、頑固だからと
その犬のせいにして
やるべきことをやりもせずに
諦めたふりをする人がいます。
そうした言葉を
耳にするたび
きちんと教えることもせず
言うことを聞かないのが
愚か者だと言うのなら
私達人間は
どれほどの賢さを持って
生きているのだろうと
思ってしまうのです。
心の底にそんな侮蔑的な
意識がほんの少しでもあれば
表面的にどんなに
愛を囁いてみても
わかり合えないのは
人も犬も同じことです。
犬に必要なのは
感情を共有する以前に
その犬の
心身の健康と
安全を守るために必要な
生き方の指南です。
個々の個性は様々でも
過度な興奮や執着
過度な緊張から解き放ち
穏やかに育てることを
生活を共にする人間が
望み求めることから
始めなければ
犬はいつまでも愚者を
演じ続けなければなりません。
犬達の社会的地位の
向上を望むなら
犬の大きさや
犬の種類に
囚われることなく
犬の育ちに
責任を持ち
動物としての
犬の能力に対する
危機感を
常に忘れないことです。
犬達はそばにいる
人間の振る舞いから
日々学び続けています。
粗野な言動や
ネガティブな言動から波及する
無意識のエネルギーは
犬達にダイレクトに伝わり
犬達の危機意識を煽ります。
無知で無遠慮で
無責任な飼い主を
連れている犬は
大変に気の毒な存在でもあり
その一方で
残念ながら
とても危険な存在でもあるのです。