犬は人間と同じように
高い社会性のある動物です。
社会性があるということは
他者との健全な関わりがなければ
心身の健康を保てないという
ことでもあります。
社会に属するための
社会性を支える
質の良い双方向の
コミュニケーションを
意識することは
人や犬の心身や脳そのものを
健康で健全なものへと
導くものとなります。
コミュニケーションの不全は
人にとっても
犬にとっても
深刻なストレスを生み出します。
もちろん人間同士のように
相性の良し悪しも
多少はありますし
得手不得手もありますが
それがなぜかを考えて
アテンドするのが
犬のそばにいる人間の
役目かなと思っています。
犬の得意不得意は
そばにいる人間次第です。
健康や命に関わるような事は
もちろんすべきではありませんが
不健全に怯え続けていたり
不健全に吠え続けていると言う事は
それ自体が人や犬の健康に害を
及ぼす可能性があると言うことを
心していなければならないのです。
同じ犬にばかり吠えるのは
その犬との関係性や
犬同士のコミュニケーションに
問題があるのかもしれません。
どんな犬にでも吠えるのは
飼い主さんとの関係性や
コミュニケーションに
問題があるのかもしれません。
問題を問題として
きちんと捉えなければ
問題解決には
遠く及ばないのですから
個々の犬や
飼い主に対する見立てが
間違っていれば
問題は解決どころか
深まっていくばかりになるのです。
犬が心穏やかに
毎日を過ごしているかということは
飼い主自身が心穏やかに
毎日を過ごせているかということに
繋がっていきます。
人間が生きていくうえで
様々なストレスを
コントロールしながら
生きていくのと同じで
犬達も人間と共に暮らす中で
様々なストレスを
コントロールしながら
生きています。
生きている限り良くも悪くも
ストレスがついてまわるのは
犬も人間も同じ事なのですから
ストレスという言葉に
ネガティブな
色付けばかりをすることは
いかがなものかと思っています。
ストレス反応として現れる
犬の頑固さや
甘えに見える行動の
言いなりにならず
過ごさせることは
一見、犬にストレスを
与えているように
感じるかもしれませんが
犬の健康で健全な
生涯を祈り
広い視野で見据えた時
それがなぜ必要か
わかるかもしれません。
同じ散歩ひとつとっても
ルートを変えたり
歩幅を変えたり
時間帯や場所を変えてみたり
一緒に歩く人を変えたり
一緒に歩く友達が増えたり
毎日のほんのささいな変化が
犬達にとっては
成長のための
アトラクションになります。
もちろん、個々の犬の状態や
成長段階を見極めたうえで
調整することは
言うまでもありませんが
もしも、自分の子供が
漫然と苦手な物を避け続けたり
毎日同じようにしか過ごせない
または、同じように過ごすことに
強い拘りを持っている姿を見て
心配にならない親はいないはずです。
もちろん犬ですから
私達飼い主から
独り立ちすることはありませんし
様々なことを
回避させることは
人間の子供よりも
容易なことかもしれません。
しかしながら
自分勝手と自由は違います。
そして、生きている以上
ストレスを無くすことを
目指すこと自体が
ナンセンスなことであり
ある程度のストレスは
乗り越えられるよう
犬達を導く責任が
私達飼い主にはあるのです。
その一方で
私達が犬に良かれと思って
やっている事のなかに
個々の犬にとっては
大きなストレスになることが
含まれているかも
しれないのですから
何をするにしても
ある程度の節度を持った
接し方が大切なんだと
個人的には思っています。
良くも悪くも
人間の与えるもので
犬の心の世界は
作られていきます。
私達人間が
日々暮らす中で
犬達の騒めきを
きちんと認識し
訂正したり
アテンドしてあげなければ
犬達は不可避なストレスの中
逃げることも叶わず
高い興奮を持って
孤独に闘い続けることしか
選択肢がありません。
人と犬双方の
信頼と尊重の育みを促す
接し方や考え方こそが
このストレス社会を
共に乗り越え
より良く生きるために
絶対に欠かすことのできない
絆ではないかなと
思い至っている次第なのです。