犬達は
人との暮らしを
得られた
ただ、それだけで
100%満足なんだと思うことが
不遜なことなのかと思うほどに
犬を飼う多くの人が
犬に対して
必要以上の気を使いながら
過ごしていることが多いような
気がしています。
もちろん
それが飼い主の
喜びに直結しているのも事実ですが
その反面、問題行動と呼ばれる状態を
助長してしまっている場合があるのも
また、事実かなと思うのです。
犬を飼う人の中には
いろんな方がいます。
そして
その生活スタイルも様々です。
とはいえ
人間社会から見た
そのスタイルが
良いものでも
あまり良くないものであっても
きっと、そんなことは
犬達には関係ないこと
なのだと思うのです。
だからと言って
もちろん
不衛生であったり
危険な飼い方
人道的に許されないことは
論外ですが
人間がつい
優先してしまいがちな
価値基準である
経済的な指標では
犬達の幸不幸を
測ることは
出来ないと思っています。
必要なのは
彼らのニーズである
適切な運動と
一貫性のあるルール
そして、彼らの食性に合う
シンプルな食事と
落ち着いて休める
温かい寝床。
犬との繋がりを深める時
大切なのは
それらのニーズを過不足なく
きちんと与えることであり
人が考えるような
特別扱いや
テクニックに走る必要は無い
ということを
犬達は問題行動を通して
私達に訴えかけているのだとも
思うのです。
犬達は人が考えるよりずっと
知的に私達人間を
観察しています。
大切なのは
そばにいる人間が
どう生活しているかを
客観的に示すために
過度な干渉を避け
適切な心理的距離感を保ちながら
犬に対して
わかりやすいジャッジを
提供することではないかなと
思っております。
犬をつい感情的に
特別扱いしてしまうような
興奮に価値を
見出している人の営みは
流動的な感情に
支配されていて
一貫性のあるルールを
犬達が見いだすことが
出来ないことから
犬の心理に戸惑いが生まれ
それがやがて
問題行動として現れるのだと
私は考えているのです。
犬の心は
人の営みと共にあることで
すでに十二分に満たされています。
いつでも私達人間と
共にあろうとする
彼らに対して
私達が出来ることは
限られていますし
彼らは物理的な何かより
私達の心そのものを
常に求めているのです。
彼らは自らが
どんな状況に
置かれたとしても
私達人間を
恨んだり
責めることは
ありません。
だからこそ
私達は
いま、彼らと
共にあることを
感謝しなければ
ならないのだと
思うのです。
どんな相手であっても
同情や憐れみや批判でなく
感謝を見出せば
信頼と尊重の感性は
学ばなくとも
磨かれ続けていきます。
犬は飼い主を選べないと
言われていますが
その人に必要な
メッセージを携えて
彼らは私達の元に
不意に現れ
不意に去って行くのだと
思うのです。
真摯に犬の心に
耳を傾ける時
聞こえてくるのは
私達人間の幸せを願う
彼らの献身的な
思いに他なりません。
そうした
犬達の愛に
想いを馳せる人が
増えれば
犬達の社会的な地位は
間違いなく向上していきます。
特別な訓練を受けた
使役犬達ばかりが
人を助けているのでは
ありません。
もっと身近な
家庭犬達こそが
世の中の
多くの人の心を
日々癒し
救い続けているのです。
彼らが
ただ
そばにいるだけで。
ただ
満たされて
癒されているのですから。