命が大切なんだと
いくら訴えても
言葉が色褪せてしまったように
生きていることが
当たり前になり過ぎて
胸に迫らない
社会になってしまいました。

「死」が
身近にない現代は
生きること自体が
自動化してしまい
命に対しての考えが
生きるか死ぬかの
戦時中よりも
あきらかに
軽薄に鈍化して
しまっているような
気がしているのです。 

今を健康に
生きている人間にとって
生きていること自体に
感謝を持ち
真摯に意識するのは
意外に難しいものです。

犬達は常に今を生きていると
言われていますが
彼らが過去や未来に囚われないのは
遠くにありそうな死が
素知らぬ顔で
隣り合わせにあることを
すでに知っているからです。

生に内包された死を
身近に思うことは
生きていること自体に
客観性を生み
生きていることは
当たり前ではないという
気付きを生みます。

人生観の礎となる視点が
生から死を見るのではなく
死から生を見るものへと
反転するのです。

その視点の変化が生み出すものは
生きていることへの歓喜よりも
死を想い悼むことから派生する
いまある命を
労らい祈り見守る心の
育みなのではないかと思うのです。

犬達が私達に与える
最大の学びは
真摯に向き合った日々の果てにある
愛すべき彼らの「死」との
対峙そのものではないかと
個人的には思っています。

どんな時も
感情に溺れることなく
乗り越え生き抜く強さや
命の明るさの育みを
見届けさせることこそが
彼らからのギフトです。

人と犬
それぞれの
シアワセのために
社会全体で
犬達を育て
競わず
争わず
貶めず
過去や未来に
囚われることなく
穏やかに
調和に満ちた世界を
創造する術を
彼らから人間が学ぶべき時に
来ているのだと思うのです。