人間は
あたたかい。
はずなのに・・・
本来の心や言葉の温かみ
生まれ持った感性を捨て
直情的で破壊主義的に
振舞うことが
さもカッコイイことのように
思っている人が
増えているような気がして
ならないのです。
現実社会では
自然を破壊する一方であるのに
コンピュータのなかで
自然の営みを
再現することに未来を感じたり
人間の心がおざなりになる一方で
人口知能で
人の心を模倣することに
新たな可能性を感じたり
科学者やコンピューターの欲望は
尽きることがありません。
たった一人の頭の中で
世界中の人が遊んでいる
遊ばされている
そんな風に
思えてなりません。
興奮に支配された心は
穏やかな現実に
価値を見出せず
非現実的で
排他的な世界に
自分の居場所を
見出す様になります。
大きすぎる嘘に
気づかないまま
私達は人間らしさの対岸にある
濁流に流されている様な
気さえしているのです。
目に見える戦争は
遠い昔に終わったけれど
その終焉とともに
目に見えない戦いが始まり
現代は
その戦いが苛烈を極め
噴きこぼれる様に
エゴイスティックな
「ヒトデナシ」が
当たり前の様に
闊歩する世の中に
なってしまった。
人間はいつの時代も
変わらずに愚かしく
自然を手放し
続けてきたけれど
そんな様々な
時代の中で
常に傍には
その存在の意味を
変えられ続けながら
犬達は「山」の様に
猫達は「海」の様に
身近な「大自然」として
太古から変わることなく
人間の心を
癒し守り続けてきたと
感じてなりません。
彼らの寝息には
マイナスイオンが
溢れています。
規則正しいリズムは
私達の心を
穏やかにし
その寝息に
耳を傾け
陽だまりの様な
匂いに包まれていると
いつの間にか
穏やかで深い
眠りの中にいるのです。
私達人間は
穏やかさを
心身に纏えて初めて
幸せの本当の意味を知り
繋がり合うことの出来る
生き物ですから
彼らからの真の恵みは
私達一人一人が
癒し癒されることで会得する
穏やかな関係性に裏打ちされた
平和的な秩序を
獲得出来るようになることに
あるのではないかと
思い至っているのです。