アメリカには
いまだに闘犬があります。

闘犬は虐待の
最たるものでありますが
日本の各地にも
いまだに闘犬を
文化としている地域があります。

今回、それが
馴染みのある
北関東にもあると聞き
驚愕。

その地で活動されている
ボランティア団体の代表の方は
そうした
悪しき文化の名残が
人々が命を敬わない
心理的土壌を
作っているのではないかと
おっしゃられていました。

人間が作為的に掛け合わせ
作出した様々な犬種のなかで
我慢強く、精神的に強い犬に
闘犬としての振る舞いを
人が暴力で教え 
闘犬を仕立てあげます。

闘犬に限らず
好き好んで
闘う動物はいません。

犬を闘わせるのは
人間の欲を満たす為の
蛮行です。

一方で、使役犬も表向きは
人間の役に立つ
素晴らしい犬とされていますが
好き好んで
使役犬になろうと思わない犬達に
使役犬としての振る舞いを教えて
使役犬に仕立てあげる
という意味では
犬からしてみれば
同じことのように
感じてならないのです。

そもそも
犬を何かに
仕立てあげる必要は
ないのです。

人と暮らすことを
夢見ることはあっても
闘犬や使役犬になることを
夢見る犬はいません。

犬達はただ
飼い主の穏やかな横顔を
見ていたいだけなのです。 

その横顔がどんなに
欲にまみれていたとしても
そのために
身体が傷だらけになったり
あらゆる我慢を
強いられたとしてもです。

性格が優しく
闘犬として役に立たないと
判断されれば
噛ませ犬として
死ぬまで闘犬のトレーニングに
使われます。

使役犬も同じです。

血筋を重んじ
意図的に交配させながら
生まれた子犬の性質が
使役犬として
役に立たないと判断されれば
そこで生きていくことは
許されません。

使役犬になれなくても
血筋が良ければ
繁殖犬に。
経営判断から
譲渡対象になる犬もいますが
運悪く
どちらにもなれなかったら
殺処分です。

暴力的に虐げることを
訓練という人も未だに
いるようですから
闘犬と使役犬は
その目的と用途が
月と太陽ほどの
違いがあったとしても
仕立てる人間側からしたら
道具でしかないのです。

月と太陽。

それがどんなに虐げられ
理不尽な扱いで
あったとしても
彼らは
いまもどこかで
人間を満たし
照らし続けています。