今回のサミットで
配布された資料に
アニマルポリスへの質問として
こんな一文がありました。
Q.現在問題になっていることは?
A.飼い主の責任の向上が必要。
可愛がるだけではダメ。
ご馳走を上げても
散歩させなかったり、
トレーニングさせない。
健康面をあまり気遣わなかったり、
ノーリードで歩かせて
怪我をさせてしまったり…
こう聞くと
日本とあまり違わない現状という
印象すら受けますが
決定的に日本と違うのは
こうしたことが
アニマルポリスへの
通報の対象になり
厳罰を科せられる場合も
あるということです。
現代社会において
虐待は
遠くの
見知らない誰かの
問題ではありません。
蹴ったり殴ったりという
わかりやすいものでない場合も
実は多いですし
無意識のうちに
「優しい虐待」に
手を染めてしまっている場合も
あるのです。
個人的には
どんなことであれ
極端に偏ったり
過剰を極めることは
すべて
虐待に繋がる可能性が
あると感じています。
過ぎたれば
及ばざるが如し。
良かれと思って
やっていることであっても
それが犬の道理や
ニーズに反し
精神的な安定に
繋がらないとしたなら
それは、関わり方としては
不適切であり
無意味であると
言わざるを得ません。
そうした
関わり方を続けた結果が
問題行動の発動であり
もし、問題行動が
出なかったとしても
何らかの実害を被るのは
犬の方であるのです。
例えば、オヤツ。
犬が喜ぶからと
あげ続ければ
犬はあっと言う間に太り
歩けなくなり病気になります。
この場合、
食いしん坊な犬が
悪いのではありません。
犬の喜ぶ姿を見たいばかりに
節度なくおやつを
あげ続けた人間が悪いのです。
私達人間が
犬にしてあげること
または、しないことの論拠が
犬の健全な成長や
命の安全にとって
本当に必要なことなのかを
真摯に考え選択していかなければ
本当の意味で
犬を守ることは出来ません。
溺愛も
無関心も
過干渉も
自らの感情を
一方的に押し付け
相手を尊重しない
という点で言えば
虐待と同じです。
犬と暮らすと
私達の心は癒されますが
私達の心を癒すために
犬達は生まれてくるのではない
という事実を
しっかり受け止めることが
犬と暮らすうえで
最も大切なこと
なのかもしれません。