どんな
科学者も
心には素人です。
彼らの心を
一番深く知り得る立場にあり
その心に最後まで
寄り添えるのは
日々を共に暮らす
私達、飼い主だけです。
科学は
「心」を未だに
解明していません。
それに近づくために
様々な科学者が
心の法則を見つけ出そうとして
編み出したのが
犬のしつけやイルカの調教に
使われている手法の原理なのです。
心という深淵を
科学的なパターンで
理解することは
出来ません。
心はそんなに
簡単なものではありません。
科学者の
もっともらしいロジックに
惑わされて
守るべき心を
見失ってしまっては
本末転倒なのです。
科学者は
動物愛を語りながら
研究の対象物として
犬猫仲間たちを
見ています。
そして当然ながら
医療は
サービス業です。
人と犬の関わりの
奥深さや不思議を
科学は語るに足りません。
ペットショップも
獣医さんも
動物を巡る
様々な仕事は
その裏側で
相互作用しながら
大きな経済連鎖の中で
繋がっています。
犬を飼う時の
飼い主の覚悟には
犬との暮らしに
「本当に必要なものを
見極めていく」ということも
含まれていると考えています。
誰かに言われたからでなく
自分の頭で考えることです。
自分の頭と心でモノを見ない人は
犬猫仲間たちと
真に繋がることは出来ません
そんなつもりが
なかったとしたなら
今から
始めれば
いいのです。
自分と犬に必要な
幸せがどんなものかを
考えましょう。
それが人から見て
慎ましいものであっても
それが本心なら
それで自分の心が
落ち着くのなら
それでいいのです。
飼い主の安寧が
犬の幸せであり
喜びなのですから。
ペットを巡るサービスは
過剰を極めつつあります。
サービスを作出し
提供する側の人間は
飼い主のウィークポイントを
熟知するのが
仕事です。
足元を見られ
侮られては
彼らを本当の意味で
守り切ることは
出来ません。
ペット業界は
私達飼い主に
ベストを尽くすことを
善とし
暗に求めます。
例えば医療。
どんなに
ベストを尽くしても
別れは訪れます。
それが現実なのですから
大切なのは
ベストではなく
ベターなのです。
緩やかに
その時を迎える方法を
彼らは
私達人間より
ずっとしっかりと
心得ています。
病や老いを前に
私達飼い主に出来るのは
その命の速度に
静かに
寄り添うことしか
出来ないんだと
太刀打ちの
出来ない現実の前に
猛烈な虚無感を覚えます。
だからこそ、
先生と呼ばれる人達が
彼らに貼り付ける
あらゆるレッテルに
怯えたり惑わされずに
彼らと
穏やかな気持ちで
最後まで真摯に
向き合わなければ
待ち受ける
彼らとの別れを
乗り越えることは
出来ないと
感じているのです。
科学者が振りかざす
物差しである
犬種も年齢も性別も出自も
病や老いさえも越えたところに
彼らの心はあります。
私達人間だって
同じなのです。
心を穏やかに
他者と共感し合うことこそが
幸せのはじまりです。
他者に対しての
信頼と尊重こそが
「愛」の別名です。
数多の飼い主さんが
彼らへの
真の愛で繋がった時が
彼らを巡る
現状の人間社会の常識が
大変に非常識なことであると
暴かれる時で
あるのかもしれません。
そして
その大波は
閉塞感漂う
人間社会そのものの
再生を促していくような
大きな流れに
繋がっていく
チカラになるとさえ
感じてもおります。
尊敬すべき
彼らとの
愛おしい日々を
来るべき喪失の覚悟を持って
過去や未来に
縛られることなく
大切に
過ごしていきたいと
思っている次第なのですm(_ _)m。
彼らの心の安寧を
守るためには
飼い主の覚悟と
真摯な叡智が
必要なのですm(_ _)m☆