世の中には

犬を興奮させることを繰り返し

それを訓練と呼ぶ人もいます。
 
使役犬の世界は
特殊で閉鎖的な社会です。
使役犬の育成をする人は
犬の興奮を利用するために
犬の興奮をいかに
引き出せるかが勝負です。
 
興奮=犬の喜びというロジックは
理不尽で不本意なことを犬に強いる
人間のモチベーションの維持のために
作り出された一種のストーリーだと
個人的には考えています。
 
そして、この
興奮=犬の喜びという
フレーズだけが
一人歩きした結果…
犬の問題行動が一般化し
爆発的に増えることに
繋がっているのではないかと
思わざるを得ないのです。
 
犬の興奮を
犬が喜んでいると
誤認することで
社会の中
人との暮らしのなかで
犬を健全に
育てるために必要な
すべてのロジックが
狂い始めます。
 
想像して下さい。
 
人が行き交う街のなかでは
一人一人が
ルールとマナーとモラルを
保ちながら存在することで
全体にとっての
安全な状態が
保たれているのです。
事件や事故は
そうした場所に
ひどく興奮した人間が
入り込むことで起きるのです。
興奮を是正することなく
容認したり
野放しにすることは
当事者にとっても
周りの者にとっても
あまりに危険で
不健全なことであるのです。
 
それが家庭のなかであったなら
どうでしょうか。
 
信頼と尊重に満ちた
高い社会性を持つ犬の群れは
とても、静かなものです。
 
正常な運動や遊びであれば
人の指示を尊重出来るはずですが
単なる興奮であったなら
人の指示はまったく
届かなくなるのです。
 
いま、毎日のように
ニュースで報道される
覚せい剤は興奮剤です。
覚せい剤が
そうであるように
興奮には
中毒性があります。
 
動物にとって
興奮は命掛けの
異常事態であり
興奮の継続は
慢性的に犬の心身を
疲弊消耗させます。
 
飛び跳ねる人間を
「異常だ」と感じるのに
飛び跳ねる犬は
「喜んでいる」と認識する方が
おかしいのです。
 
大半の犬は1年半で
人間でいう20歳です。
 
犬の精神年齢は
すでに成熟しているのに
人間の意識では
いつまでも赤ちゃん扱い…
 
犬の成長や寿命を
しっかりと認識しながら
過ごすことは
私達飼い主が
病的なペットロスに
陥いらないためにも
必要なことであるとも
思っています。
 
また、出来るだけ
苦手なものを作らせないことが
犬の精神的な安定には
不可欠です。
 
犬の精神的な成熟に対する
認識の甘さから
犬に必要な経験を
積ませることが出来ず
社会性のなさを
「個性」として
済ませてしまう人は
少なくありません。
 
社会性の低さは
精神的な不安定さに繋がり
ネガティヴな興奮のしやすさに
繋がります。
 
動物のなかで
感情の支配を受け
興奮することに
価値を見出しているのは
人間くらいなものです。
 
犬が大好きといいながら
犬の健康を後回しにして
自分の欲求を満たすために
犬を興奮させることを好むことは
程度の差こそあれ
一種の虐待であり
闘犬愛好家と
なんら変わらない精神性だとさえ
感じてしまうのです。
 
動物である犬にとって
興奮は少しでも早く逃れたい
不快な状態であります。
 
そのことを
私達がしっかりと
理解していないと
興奮に慣らされ続けている
現代の私達は
犬の穏やかさを育てることに
本気になれないのかも
しれません。
 
興奮を否とし
穏やかさを是として
いくこと。
 
それが前提になければ
犬との暮らしは
私達人間の理想とは
明らかに懸け離れ
ちぐはぐで
不快なものになるのは
あまりに
容易なことであります。
 
犬の興奮した姿に
喜びを見出して
吠えることを無意識に
学ばせておきながら
それを嫌い
手っ取り早く
物理的な処置として
声帯を取るなんて
あまりに酷く
身勝手な話です。
 
犬に必要な処置は
人間の好き嫌いには
寄りません。
 
犬にすべきことは
とてもシンプルであり
犬として
人と暮らす以上
人間がやるべきこと
やらざるべきことの
ほとんどは決まっています。
避妊去勢もその一つ。
 
飼い主の責任は果たさず
飼い主の欲求を優先し
犬にとって理不尽な要求を
するばかりなんて
モラハラもいいところです。
 
ダンスをしたい犬はいません。
賞を取りたい犬もいません。
犯罪者を見分ける犬はいませんし
身の危険を
敢えて冒したい犬はいません。
 
私達一人一人が抱く
犬に対する
過剰な幻想やストーリーを
手放す時に
来ているように思うのです。