犬達にとって
私達の生きる人間社会に
暮らすということは
私達が異国の地で
暮らすことと
同じようなものです。
 
この社会の
案内人である人間は
犬達が安全安心に過ごす為に
常に正しい案内を
犬達にしていかなければ
なりません。
 
穏やかで
平穏な状態は
犬達の心身の安全を
担保します。
 
犬達からしたら
ジャングルのような
人間社会のなかで
私達人間と
共に生きるためには
どんな場面に置いても
人間がしっかり
犬の前を歩き
アテンドすることが
大切なことだということを
理解して頂きたいのです。
 
取るべき態度を
学ぶ機会を与えられず
人を信頼し
尊重することも出来ないまま
興奮を放置され
訳も分からず
身の危険を感じながらも
好き放題を
許されていることのほうが
心許なく
犬にとっては
ツライ状態なのだと
理解して下さい。
 
自分の寂しさを
紛らわせる為に
犬に尽くすという方が
時々おられますが
そうした考え方では
犬を幸せにすることも
自分を幸せにすることすら
叶わないと思っております。
 
尽くそうが尽くすまいが
自分の気持ちを
癒したり満たす為に
誰かの人生を利用するのでは
自分もその相手も
幸せになることが出来ません。
 
良くも悪くも
楽しみながら
自分の人生を受け入れ

理性的で主体的に

人生を生きている人は 
すべての優劣や
差異を超えて
穏やかで毅然としています。
 
人間にはなかなか
難しいことではありますが
犬の本来の姿は
そうしたものであるようにも
感じているのです。
 
犬は私にとって
褒めたり叱ったりする
存在ではなく
協力し合い
感謝し合う存在であり
犬に何かをしたり
させたりする時の
わたしの口癖は
良い子ね。
ではなく、
協力してくれて
ありがとうなのです。
 
昔に比べて
犬が人の暮らしに
より密接な存在に
なってきたとはいえ
犬を自分の人生の
主人に据えてしまうことは
人にとっても
犬にとっても
不健全なことです。
 
物言わぬ犬に
人の役を押し付けず
自分で自分の人生を
満たす努力をするべきだと
個人的には思っています。
 
人が懸命に
何かに立ち向かう時
犬は人に
そっと寄り添い
勇気づけてくれる
高い精神性を持った
稀有な存在であります。
 
そんな犬に
癒されることばかりを望み
犬らしさを尊重せず
犬の本来の姿を
見ようとしないことは
もったいないことだなと
つい、思ってしまうのです。
 
犬という動物が
私達人間に
あまりにさりげなく
与え続けている深い愛情に
どこまで
気付くことが出来るか。
 
その感謝を
犬が生きている間に
どれだけ伝えることが出来るか…
そんな気持ちで

私自身

日々暮らしております。


感謝に満ちた人生は
幸せなものであり
その幸せはけして
失われたり
色褪せたりしないものです。
 
その反対に
与えられたことで
得た幸せは
いつかそれを失う
痛みを伴います。
 
このシンプルな
ロジックは
犬達が私達人間に
その存在の
すべてをかけて
伝えようと
していることではないかと
思い至っている
次第なのです。