殺処分ゼロという言葉は
とても、誤解されやすい言葉です。

殺処分ゼロを訴える
その言葉の矛先を
国や行政に向けるのは
あまりにも安易です。

その矛先は
回り回って
私達一人一人の後頭部を
指していると
わかっている人が
どれだけいるでしょうか。

社会のなかで
または、
コミュニティのなかで
誰かを悪者にして
解決出来る問題は
実はほとんどありません。

痛み分けをしながら
新しい一歩を
踏み出していかなければ
どんなに時間を
かけたところで堂々巡りです。

他者を責め
自分の正当性ばかりを訴えてみても
誰もそれを良しとはしない
それが社会の正しい反応です。

感情的に
何かに傾倒することは
本末転倒なのです。

殺処分の話題が
ニュースなどで流れると
決まって
行政に直談判したり
正論を振りかざし
非難したりして
いい気分になったりする人がいます。

センターの職員の方の
当たりどころのない
心中を察すれば
それこそ外道です。

動物が好きなのに
殺さなければならない
そのストレスや哀しみは
計り知れません。
実際に命を
落とされる方もいます。

何故、そんな
理不尽な仕事を
しなければならないのか。
それは、行政だからです。

誰もやりたがらず
私達の生活を守ることの一環として
その仕事があるのです。

とても、簡単な話し
センターに収容される
犬や猫達がいなくなれば
殺処分はなくなります。

多くの職員の方々は
それをいつかいつかと夢見ています。

その中のお一人の方が
書かれた手紙です。
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彼らがこの社会で生き抜くためには
私達人間や飼い主が必要なのです。

彼らは彼らなりに
私達を日々観察し
学習し、努力し続けています。

私達人間は
彼らに対して
あまりに無知であり
傲慢な常識に
囚われ過ぎています。

感覚を研ぎ澄まし
彼らの真摯な努力に気づき
共生するために必要な
手助けをすることが
飼い主や人間の務めです。