虐待と聞いて
どんなことを
思い浮かべますか?

蹴ったり殴ったりすること?
チカラでねじ伏せること?
笑いものにすること?
バカにすること?
存在を軽んじること?

私は犬を
正しく知ろうとしない時点で
虐待は始まっていると
思っています。

他者からの忠告に
耳を貸さず
無知を放置し
犬を使って
自分の気持ちばかりを
満たそうと
癒そうとしている時点で
信用ならない人間性を
感じるのです。

犬は人間が頼りです。
飼い主に頼るしかないのです。
飼い主が自分に必要な犬を
無意識に選んだとしても
犬が飼い主を選ぶことは
出来ません。

犬は飼い主を
批判することなく 
結果はどうあれ
飼い主を満たすために
日々努力を重ねています。

その努力や我慢が限界に達した時
問題行動が出るのです。

犬の問題行動は
犬からの命懸けのSOSです。
犬が牙を使う時
それも、家族に牙を向ける時
その犬の心にある
深い孤独を思うと
心底、居た堪れなくなるのです。

ですから、そこまでの状態に
追い込まれた犬と向き合う時
万が一噛まれたとしても
私の頭には
犬に対する謝罪しかないのです。

「ここまで追い込まれるまで
助けられなくて、悪かったね。
    もう大丈夫だから
    頑張ろう、頑張ろうね」と
励ましの言葉を
呪文のように唱えながら
犬と向き合います。

そうした、犬が抱える
負のエネルギーは
凄まじいものです。
「不信」と「殺気」が
ないまぜになった
その強烈なエネルギーを
相手にすると
三日間
寝たきりになるくらい
心身が疲弊します。

どんな状態や状況にあっても
犬は悪くない。
それが私の答えです。

その考え方は
一部の飼い主さんからしたら
大変に厳しいものかもしれません。

でも、どうか
考えてみて下さい。

無理解な家族の中で
信頼関係もままならず
身勝手なことばかり言われ
心許ない孤独の中で取った
必死の行動が
問題とされ
隔離され
理不尽な
要求をされ続け
究極の自己防衛心から
牙を使えば…殺処分。

この犬の何が問題なのでしょう。
こんな理不尽が
なぜまかり通るのか。

犬を正しく理解しようとする
愛情も持たず
犬としての尊厳や要求を
尊重することもなく
信頼関係の育みも蔑ろにし
無理解という孤独に
犬の心をさらし続けたあげく
理不尽な要求ばかりを
並べ立てる

そんな人間の方が
よほど問題を抱えていると
私には思えてなりません。

自分の問題行動を直視せず
自分の都合ばかりを
呪文のように唱える飼い主には
届く言葉も心もありません。

どんなに
悪気がなくても
命や他者に対する
感謝のない傲慢な態度こそ
虐待以外の
何ものでもないと
私は思っているのです。

虐待は
遠い世界の
話のような気がしますが
優しさという
オブラートに包まれて
日常の一部に紛れています。
そうした
優しい虐待は
毒リンゴのように
見た目にはわからず
周囲に気付かれないまま
ゆっくりと相手の心の
息の根を止めていきます。

差し向ける
その優しさが
本物かどうか
無知の放置を隠すための
隠れ蓑にしてはいないかを
私達は自問するべきです。

本当の優しさや愛情は
相手の心の深淵に
輝きを与えられるかどうかの
真剣勝負です。
人間の思いが
本物であったなら
愛情深い犬達が
応えないわけがないのです。