犬を連れての旅行には
最低限守るべきマナーが
いくつもあります。
公共の場で餌や、オヤツ
人の食事を分け与えること。
テーブルや椅子、膝に犬を乗せること。
テーブルに犬が手をかけること。
食べ物を催促して吠えること等…
しかしながら、
これらは本来
普段の日常生活の中でも
NGにしていなければならない
ルールであります。
オヤツでしか犬を
コントロール出来ない人には
とても厳しいことかもしれませんが
オヤツなしで意思疎通を図ることを
本気で学ぶ必要性を
感じられる場面でもあります。
「いざという時」は突然来るので
オヤツがあるとは限りませんし
犬が本気の戦闘モードになったら
オヤツなんて見向きもしません。
犬の様子を察する努力を怠り
飼い主が自分のしたいことや
自分の感情にばかり夢中になって
犬の混乱や勝手を野放途にしていれば
あっという間に事故が起きます。
万が一の危機感を持たずに
飼い犬の問題の
最大の被害者である
自分さえ我慢すればいいなんて
程のいい綺麗事は
日常の馴れ合いのなかでなら通用しても
犬旅のような非日常の場面では
一切通用しませんし
当然ながら一般社会の中では
さらに通用しません。
問題行動の原因は
規律の不足
運動の不足
未避妊未去勢による
性ホルモンの過剰など
様々ありますが
そうしたことへの配慮と努力は
犬を飼う以上
マナー以前の常識の問題です。
犬種特性に由来した
問題行動だから
これは治らない…
そもそもは飼い主の問題行動から
犬の問題が引き出されているのに。
心の弱さを盾に
自分の問題行動と向き合わず
犬の問題は
出自のせい、犬種のせい、他人のせい
ブリーダーのせい、他犬のせい
ぜんぶ、ぜんぶ
ひとのせい。
自分の子供が問題を起こし
誰かを深く傷つけたり
誰かの命を奪ったなら
自分がその子供の命を奪う覚悟だ。
一見、親として
責任を取るような言葉に
聞こえますが
実はそこまで状況や状態が
悪化するまで
何もしませんという
堅固な意思表明でしかないのです。
おそらく、それを言う人自身は
その詭弁を詭弁とも
思っていません。
言われなきことを言われたと
被害者的な感情で
指摘されたこと自体を
恨むだけでしょう。
誰かや何かのせいにして
今の自分と向き合わない人に
周りからの励ましの言葉も
いたわりの言葉も
届くことはありません。
こうした考えでいる人は
残念ながら
一人や二人ではありません。
人は誰しも
みんな、なにがしかの
弱さを抱えています。
完璧な人はどこにもいませんし
強そうに見える人も
けして、強いわけではなく
ただ弱さを
盾にしないだけなのです。
ですから、
弱さを盾に出来る人は
私からすれば
よほど強い人であるのです。
弱さを盾にされたら
誰も何も言えなくなります。
そうやって孤立し
誰からも
相手にされなくなった人のそばで
必要なニーズを与えられることもなく
その傍に生き永らえるしか
術のない犬達の心を思うと
ただ、ただ不憫で
居た堪れない気持ちになるのです。
犬に対して不誠実な人は
他者に対しても不誠実です。
自分の感情にしか興味がなく
自分の感情にのみ
誠実であろうとするので
周囲の人の気持ちや
自分の犬の気持ちを察し
反応することが
とても難しいことに
なってしまうのです。
自己満足では
自尊心は満たされません。
飼い主の自尊心の低さは
犬の問題行動を助長します。
犬を幸せにしたければ
まずは飼い主自身が
シアワセな人になるしかないのです。