日本は戦争もなく
平和だと言われていますが
こんなに、大きな自然災害が
頻発している国はありません。

阪神や、東北の震災以降
ボランティアという言葉の捉え方が
大きく変わりました。

ボランティアは暇で
お金がある人がやることといった
偏見に満ちた捉え方から
普通の人が
当たり前に参加し貢献するものへと
大きな意識の変革が起こりました。

災害のたびに
支援物資の分配と、
ボランティアのマンパワーの
マッチングの難しさは
繰り返し言われています。

日本は世界から見れば
規律正しく
無償の思いやりが
溢れた国とされていますが
個人レベルで見た時に
現代にはそうしたことを 
意識的に教化する
学習機会が低下している
現状があります。

たとえ善意からの行動であっても
ボランティアに参加するには
最低限知るべき
マナーやルールがあります。

いざ、災害時に
ボランティアを
すぐに受け入れることができないのは
ボランティア自身のスキルや考え方に
ばらつきがあるために
受容する側の負担が大きいこと
また、受け入れ窓口としての機能を
求められる地域の役所は
災害現場のコントロールに追われ
知識やスキルのない善意だけの人々を
受け入れられる現実にないことが
考えられるのです。

世界の難局に向けての
ボランティア団体は
しっかり各組織のなかで
活動するための
トレーニングがあるのです。

近年、多発する
自然災害を経験した方達は
否応なくその経験から
様々なことを学び
今度は
その方達がその経験を
次の被災地で生かそうと
助けに入るという現象が
起きてもいます。

経験に勝る学習はありませんが
出来ればそのような形での
学習は避けたいのが本音です。

自然災害は予想が出来ません。

今、社会を支える
様々な企業や組合が
災害からの学びから
垣根を超えた連携を実現
強化しています。

私達個人も
いざという時のために
日頃から町内会や
身近なボランティアに参加し
地域の人々と良好な関係を
築くと共に
様々な人々と円滑な
コミュニケーションを取るために必要な
「ソーシャルスキル」の強化に
一人一人が努めるべき時代に
直面しているのだと
捉え直さなければならない時に
来ているとも言えるのです。

私は関係ないから…と言うことは
もはやナンセンスなのです。

身近な「一人」を
助けようとするスキルは
十人を助けることに繋がりますが
一人を譏る態度は
十人を譏る態度に繋がるのです。