日本の現代社会は
慢性的な
興奮状態にあります。

物の売り買いも
感情的な人間関係も
社会の流れそのものが
興奮に塗れています。

そのことに気付かないと
見るべきものは見えてきません。

躾は興奮のコントロールであり
興奮には理由があることを
理解しない限り
興奮をコントロールすることは
出来ないのです。

就学前の幼少期の
コミュニケーションは
非言語コミュニケーションという
原始的な言語領域であり
これこそが
「犬の知能は五歳児レベル」と
言われている所以でもあります。
彼らとの
非言語のやり取りを丁寧に汲み取り
コミュニケーションを
取ろうとすることは
その相手の自尊心を
尊重することであります。

非言語の
コミュニケーションを否定され
相手にされなかった場合
その影響は、大人になってからの
他者とのコミュニケーションに
陰を落としかねません。

大人が子供に対して
少しでも早く言葉が
喋れるようになればと
言葉に頼るコミュニケーションを
子供に押し付け続けた結果
言語的に未熟な子供は
その期待や要求に
うまく応えられない危機感から
過度な承認と注目を得ようと
興奮して叫んだり
チカラを使った手段を
取らざるを得なくなるのです。

絶叫する子供には
ワガママでは片付けられない
理由があるのです。

親しいはずの人間から
非言語の表現を無視されたり
否定ばかりされていれば
子供は出来るだけ
ナイフのように
切れ味の良い言葉に
良くも悪くも興奮を
混ぜ込んだ表現に
自己表現の発露を見出します。

それを凝縮したのが
アニメや、ゲームの世界であり
興奮の需要と供給といった
経済活動の仕組みに
意図せず取り込まれて
しまっているのです。

余談ですが、自然のなかでの
過度な興奮は
力学的に排除されます。

わかりやすく言えば
興奮し過ぎて
走り回れば怪我をするので
自制心が育ちます。

しかし、
バーチャルな世界では
殴っても殴られても
痛くも痒くもなく
死んでもリセットが効くなんて
現実的にはあり得ない世界で
脳はノーリミットの興奮に
晒され続けます。

子供は、現実と空想の世界に
明確な線引きがありませんから
現実に即した感性を磨くためには
バーチャルなものに
子供を晒すことは
極力避けるべきことなのです。

バーチャルな興奮に
子供を晒し続けること
子供達の心身に与える
ダメージははかりしれません。
興奮のコントロールを放置するのは
育児放棄と同じくらいに
無責任な行為です。 

親や飼い主が
子供や犬達の発する
非言語の表現を見逃さず
受け止めようとする気持ちが
ベースになければ
子供のみならず犬からも
信頼されることはありませんし
健全な
自尊心を育めていなければ
興奮という誤魔化しの鎧で
心を守ろうとしても
心の中では
たった一人で
世界を相手に戦っているような
孤独感に包まれているのです。
さらに言えば他者から共感され
寄り添われる経験がない子は
人に寄り添う感覚を
身につけられないため
孤独はより一層深くなります。

また、大人になると誰しも
忘れがちなことですが
子供はとても不自由な存在です。

当たり前ですが
自発的な経済活動も出来ません。

そんな中、
スーパーや
デパートに行くと
必ずと言っていいほど
叫び続ける子供を目にします。

欲求を煽られ続け
それに対して
我慢を強いられ続ける
こうした場所は
実は子供にとって
とてつもない
ストレスだろうなと思うのです。

大人はその場で
子供の好きなものを
買ってあげることで
子供の心を満たしている
つもりかもしれませんが
そもそも、子供の心を
物で満たすことは出来ないのです。

子供の存在を尊重出来ない
大人の無意識の罪悪感が
子供を着飾らせます。
子供はそうした大人の要求に
合わせてくれているだけなのです。

犬も同じです。
彼らが欲しているニーズが
こちらが与えたいと思っているものと
イコールとは限らないのです。

相手にも
自分と変わらない心があると
思わない限り
犬だから
子供だからという驕りがある限り
相手の心に
共感することは出来ません。

大人や飼い主が
慢性的な興奮に侵されている限り
犬や子供を正しく導くことは
出来ませんし
犬や子供の本来のニーズに
応えることは出来ません。

慢性的な興奮は
学びや成長を阻害します。
アドレナリンには
中毒性があります。

私達人間は
多かれ少なかれ
興奮を求めて生きるように
経済活動のなかで
学習させられていることを
しっかり自覚していなければ
他者の状態や状況を
見誤るのは容易いことなのです。
興奮は商売になります。
人は興奮するものに
お金を払います。

興奮は言うなれば
不自然な状態です。

森は静かです。
海も静かです。
犬も子供も本来静かであり
本当の大人は静かなのです。

何かを極める時
心身を冷静に保つ訓練が
あるかないかで
その結果は大きく左右されます。
それが鍛錬です。

意識して
興奮し感情的になるならまだしも
意図せず、興奮に晒され
感情的な態度が横行しているのが
今の社会です。

犬達は人の興奮に敏感です。
社会的な動物である私達も
本来は興奮に敏感であり
それを嫌っていたはずなのです。

何故なら、
社会を安寧なものに
しておくためには
無軌道な興奮ほど
危ないものはないですし
非言語コミュニケーションは
その興奮を察知するための
根源的なツールであり
自分を守るための行動を
選択するために
必要なものだったのです。

現代の日本社会は
そうしたツールを疎んじ
興奮に晒された人ばかりが
溢れています。

今日本は平和だとされていますが
日本人の一人一人の心の中は
どこの国よりも
戦争状態になっているのでは
ないかなとも思うのです。
そう考えれば
精神を病む人が
爆発的に増えているのは
当然のことなのかもしれません。

犬達はかつてのカナリアのように
私達に危険を知らせてくれています。

興奮に満ちた生活が
いかに心身を害するか
問題行動を起こすことで
その身を挺して知らせ
私達人間を守ろうとして
くれているのだと思うのです。

興奮に晒され続け
混乱した犬や子供を
あるべき姿に戻すためには
まずは、親や飼い主の側の
興奮や感情のコントロールが
欠かせないことなのですm(_ _)m。