度合いの違いはあれど
犬の噛みで悩んでいる人は多いです。

以前も噛む犬についての考えを書きました。
噛む犬も悪いが噛まれる人間も悪いと。

噛まれない
噛ませないように
犬を観察し
振る舞うことが大切…。
しかし、
噛みが習慣化してしまっている犬と
暮らしていると
人間は噛みに対しての恐怖心から
噛まれない、噛ませないように
回避することを優先せざるを得ず
想像以上のストレスに晒されます。

もちろん回避で済めば
それは一つの方法だとは思います。
しかし、
腫れ物に触れるような接し方は
犬の不信を買いますし
健全な信頼関係には
繋がらないと個人的には思っています。

噛みの問題を
抱えた犬はなんとも言えない
眼差しをこちらに向けてきます。 

過剰で不健康
ネガティヴな興奮を抱えているために
瞳孔が完全に開き
ブラックホールの様な
輝きのない目をしているのです。 

そんな眼差しを前に
私の心中に去来するのは
恐怖心の前に
そこまでに追い詰められた
犬に対する不憫さを感じるのです。

噛みグセと呼ばれる 
犬の偏った行動選択は
生まれつきではなく
人との関わりに起因した
環境や習慣からもたらされる
後天的な問題であり
その犬自身には
噛む以外の行動選択を
知識や経験に基づいた
積極的で臨機応変な関わりの中で
学ばせなければなりません。

これは、チカラで抑え込むとか
オヤツで騙し騙しとかでは
追いつかない問題であり
犬にばかり行動修正を望むだけでなく
人の側も環境設定や
関わり合い方を見直す必要があります。

犬任せは単なる
問題の放置であり
人と犬の双方に
学びがなければ
この問題は解決しないのです。

犬に優しいと言われる方法は
人にとっては 
けして優しい方法ではなく
ほとんどの場合
犬との我慢比べです。

また、犬が問題行動を
起こさないように
犬を刺激しないように暮らす…
ということも
正直、おかしな話だと
思っています。

そもそも
犬はいつから
人間社会で
野生的に振る舞うことを
許されるように
なったのでしょうか?

それに
不安がっている相手に
あるべき道筋を教えずに
野放しに奔放にさせる
なんてことが
いつから優しさだとされるように
なったのでしょうか?
そんなのは
思いやりでも
優しさでもなく
ただの手抜きでしかありません。

社会化の本当の意味は
社会に受け入れてもらえる
精神の育みにあります。
社会に馴染めていないから
不安が生まれるのに
さらに社会から隔離して
一体何が生まれるのか
育てる側はもっと真剣に
考えなくては
ならないと思います。

どんなに愛情を持って育てたとしても
人混みのなかで
ナイフを振り回すような
暗闇のなかで
ナイフを研ぐような子に
なって貰っては困るのです。

人も犬も
社会的な動物です。
だからこそ
今日まで
共に生きてくることが出来たのです。

犬に学んで人に活かす。
人に学んで犬に活かす。

言葉を超えて
人と犬が
シアワセに繋がっていくことを
願ってやみません。

犬を迎える時の
正しい心構えが
犬の噛む行動を
抑制することに繋がります。