心得のある
他人のチカラは
子育てにも
犬育てにも
必要だなと思う今日このごろ。

家族にしか出来ない事もあるけれど 
家族だから出来ない事もあります。

楽しい時はいいけれど
近過ぎて言えないこと
当たり前過ぎて
気づかないことや
照れくさくて
言えなかったり
やらないことなど
かなりあります。

昔の家庭には
少なからず
良くも悪くも
他人が入る余地があり
それが緩衝材になって
家族が保たれていたような
気もします。

子供の躾けにしても
親が子供を叱りすぎれば
それをたしなめる
子供が親を謗れば
それをたしなめる。

遠くの親戚より
近くの他人とはよく言ったものです。

家族が孤族に変わり
子育てが孤育てに変わり
食事さえも、孤食が
当たり前になりつつあるなか
様々な天変地異により
その過酷な現実を前に
水を求めるように
人々が様々な場で
本当の繋がりを求め始めており
それは
孤独を埋めたり
癒しを求めるだけでない
犬との前向きな関わり方を
人々が模索しはじめていることにも
反映されているような気がします。

その一方で…

関係があまりに近すぎ
ボーダレスにしてしまったために
飼い犬の問題行動に
気づくことが出来ず
また、気づいていたとしても
バランスの悪さや
共依存的な関係性から
飼い犬と飼い主の
二者間で軌道修正が図れない場合や
何か困りごとがあった時
「心得のある他人」という
知識のあるトレーナーや
気心の知れた犬友といった
第三者の存在は
犬との問題を乗り越えるための
足掛かりとして
非常に求められる
存在なのだなと思います。

私は飼い主さんにとって
一番身近な
手助けの出来る
第三者になりたい。

他人だからこそ出来ること。
他人にしか頼めないこと。

社会のなかでは、
誰しもが人生の
当事者であると同時に
誰かにとっての第三者であります。

持ちつ持たれつ
犬も人も繋がることで
生きる術を見出す動物なのです。