育てたように
子は育つ。
有名な詩人の言葉ですが
これは、犬育てにも通じます。
昨日、千葉の松戸で
深夜、紀州犬が自宅から逸走し
近隣にて歩行者を襲いました。
警察と飼い主が捜索し
捕獲を試みるも
犬は飼い主に馬乗りになって攻撃。
止めようとした
警察官にも襲い掛かってきたため
犬に対し13発の銃弾を発泡。
犬は死にました。
犬の心の叫びが聞こえて来ます。
「どうして?何も悪いことしていないのに」
人を噛むことは悪いこと…
しかし、そこまでに
犬を追い詰めたのは
飼い主家族です。
犬からすれば
精一杯の自己防衛。
保護者であるはずの
飼い主からのネグレクト
二階のベランダなどに
雨の日も風の日も
猛暑の日も雪の日も
繋がれ続けていた犬を
近所の人は
哀れみながらも恐れていました。
外で係留飼いして
暴力で躾ける。
これは、闘犬を作り上げるのに
一番効率的な育て方です。
闘犬は生まれつき
攻撃的なのではありません。
痛みに強く、忍耐強く、従順である
犬の資質を人が悪用して
繁殖し暴力で仕立て上げるのです。
今回のような犬の事件があると
必ず躾けの問題と言われます。
それは、まるで
空っぽのパソコンに
躾けと言うアプリが
入っていないことで起きたような
言われ方をしますが
躾はアプリではありませんし
そもそも
犬を躾け
ルールを守るように
犬の努力を促すためには
人間が犬を正しく理解し
管理していることが
大、大、大前提になります。
もしも、犬をよく知らず
犬は動物なんだという危機感や
犬の心が求めるルールや運動を与えず
犬の身体が求める餌と
スキンシップばかりを与え
動くぬいぐるみのような
関わりしか想像出来ないようなら
犬の負担は増大し
人間との穏やかな共生は叶わないのです。
犬の努力ばかりを
過剰に期待するのは
虐待と同じです。
犬のせいにする前に
出来ることはあります。
犬との信頼関係を
きちんと育めていたなら
躾けやトレーニングなど
本来する必要はないのです。
それが、犬という動物が
数多いる動物とは
一線を画す所以である
ところなのです。
「躾」で犬との信頼関係の現状を理解し
現状で不足している
飼い主の意識や振る舞い、
犬に対する指導力を補うのが
「トレーニング」なのです。
犬は育てたように
育つのです。
関わり育てる人間の責任は大きい。
自戒を込めて。