私達人間は時々
目の前のことに気を取られて
大きな過ちを
見過ごしてしまうことがあります。
動物愛護法の改正の裏で
辻褄合わせのような
犬猫の遺棄が相次いでいます。
ブリーダーやペットショップの崩壊
高齢者の飼育放棄
多頭飼育者の崩壊、自己破産
公共の場所への遺棄…
自己満足のためだけの
知識のない餌やりで
繰り返される乱繁殖。
様々な人間達の狭間で
犬猫達は
いまも必死に
生きています。
フェイスブックや
SNSには
たくさんの可哀想が溢れていて
少し覗いただけでも
胸がつまり
動悸すらしてきます。
告解すれば
助けを求める無数の手を
私は直視…出来ません。
路頭に迷った犬猫を助けたい
一心不乱に訴えかけてくる
たくさんの呼び掛けに
呼応することも
身動きすら取ることも出来ず
ただただ、罪悪感だけが募ります。
保護のボランティアを
しているというなら
あの子を
この子を助けてあげて…
まるでそれは
パンドラの箱のようで
開けたら最後
濁流のように押し寄せてきます。
寄せられる
数多の思いを前にしながら
「たった一頭も救えない現実」に
バカみたいに
立ち尽くしてしまうのです。
社会の裏で溢れかえる
行き場のない犬猫達の話を
見聞きするたび
可哀想と同情する前に
私の場合
ごめんなさいという
謝罪の気持ちが勝つのです。
売る人
買う人
捨てる人
犬猫達から見たら
みんな
「人間」が
やっていることです。
これから先、少しでも
捨てられる犬が減るように
捨てる人が減るように
飼い方に悩んで
困っている人を
助けるくらいのことしか
いまの私には出来ません。
そんな小さなことでしか
犬達の恩に
報いることが出来ない自分を
不甲斐ないと思うけれど
悩む人の傍にいる犬こそが
私にとっての
「目の前の一頭」なんだと
思い至っております。
殺処分はむごいことです。
しかしながら、
殺処分を責める前に
愛護センターを敵視する前に
保護団体に依存するまえに
私達、ひとりひとりが
まずは、自分に
出来ないことを知り
自分に出来ることを考え
溢れ出す感情論を押し退けて
現実に対峙して
いくしかありません。
可哀想なんて
他人事のように
簡単には
言えない現実があります。
みんな助けたい命です。
愛情に溢れた
愛らしい命が
手指からこぼれ落ちていく
その圧倒的な無力感に
誰かを責め立てたくもなりますが
誰かを悪者にして
吊るし上げても
根本的な問題が
解決することはありません。
ひとりひとりが
意識を変えることでしか
社会の流れは変わりません。
先を急ぐなら
誰かを
悪者にしている
暇はないのです。
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