「子供は授かりもの」
これは、親が子を私物化せず
子供が伸びやかに育つために
必要な親子の適切な距離感を
教える言葉のような
気がしています。
これは
犬に対しても同じです。
子供を私物化して
自分の感情の受け皿にしていたら
子供は荒れます。
これも
子供に限らず
犬も同じです。
子育てで一番難しいのは
待つことかもしれません。
待つことは
忙しい生活のなかで
一番後回しになりますが
子供が自分の頭で
考えられるようにするためには
親や大人側の根気と我慢が
欠かせません。
犬育ても同じです。
子供にしても
犬にしても
躾の目的は
空気を読ませて
自制を促すことに尽きます。
この空気を読ませるためには
空気を読む時間を与える
間合いが大切になります。
的確な間合いを図るためには
日々観察眼を
磨くしかありません。
ちなみに、観察しようとして
いたずらに顔を
覗き込むようなことは
しないで下さい。
見て見ぬ振りをしながら
焦らず、ぶれず、
楽しむことが大切です。
以前、ある人に
人間の子供の躾と犬の躾を
一緒にするなと
言われましたが…
どちらも、
人間にとって大切な存在で
守るべき命です。
命に上も下もありません。
「犬のくせに」「子供のくせに」
差別意識の育みは
そうした、小さな
「蔑視」から始まります。
いくらイジメは
いけないことと諭しても
親が無意識にでも
蔑視の心を持っていたなら
子供の心に
届くことはないのです。
躾は親や飼い主の
ためのものじゃなく
その子供や犬が
自分の庇護を受けなくとも
社会の中で
生きていくための社会性という
「御守り」を
身につけさせることであります。
子供が成人し社会に出たあと
恥ずかしい思いをしないように
楽しく人生を謳歌できるように。
犬が人間社会のなかで
安全に穏やかな生涯を送れるように。
もし、自分の手から離れることが
あっても大切にしてもらえるように。
これこそ
犬や子供に与えるべき
お金では買えない
愛情そのものです。
憎まれ役を買って出る
真剣さがなくては
子供にも犬にも
何も届かないのです。
憎まれ役を買っても
憎まれはしません。
自分の保身ばかり考えて
手を抜くような愛情の方が
子供も犬も傷つくのです。