犬を飼うためには
飼う側の人間の
感情のコントロールが必要で
大切になります。
その第一の関門は…
避妊去勢の
実施かもしれません。
避妊去勢に関しては
賛否があります。
生活上
なんの不都合もなければ
わざわざ手術するなんて可哀想…。
そう思うのが普通かもしれません。
我が家はみんな
保護団体出身ですから
避妊去勢は当たり前でしたし
犬の心身の健康や
病気予防の観点と
社会的な必要性から
避妊去勢は
必要だと考えてはいるものの
もし、なんの知識もなく
ペットショップから犬を迎えていたら
避妊去勢に関して
ここまで明確な意思を持つことは
なかったかもしれません。
避妊去勢は
犬のためですが
そもそも、犬を犬として
理性的に理解するという
基本的なスタンスを
確立出来ていないと
無意識に自分が嫌なことを避け
自分が欲しいものを
与えがちになります。
結果として
犬が犬らしく生きる上で必要な
生活上のルールが
適切に与えられず
双方の生活に
大きな混乱や問題を
抱えてしまう場合が
多くなるようです。
問題行動は関わり方で
改善したとしても
犬を犬として
理性的に理解出来ない場合
先々深刻なペットロスに
陥る可能性が
高まるのではないかと
個人的には危惧しています。
ペットロスは
死んでからが始まりではなく
迎え方によっては
迎えたその日から
始まっている気がするのです。
犬の寿命は短い。
これは事実です。
そして、それが普通です。
病気だからではありません。
自分より早く死ぬ。
それは必然であり
悲劇ではありません。
今年生まれた子犬が
15年後死んだとしても
それは、寿命であり
早死にではありません。
しかしながら
そうした厳然たる事実を
深く考えず
きちんと受け入れられないまま
犬を迎えてしまうと
その犬の血統を残したいといった
繁殖への密かな欲求が生まれ
避妊去勢を受け入れ難いものに
させてしまう気がするのです。
もしも、子供を産ませたとしても
「死」そのものから
逃れられるわけではありません。
命の数だけ
喜びがあるように
同じだけの
旅立ちを受け止めなくては
ならなくなるのです。
先日からルイスが
体調を崩しています。
お医者さんからは
丸一日、水もエサも
やらないように言われました。
この暑い中で
水もエサやらないことは
何だかひどく可哀想でした。
でもそれは
ルイスのために
必要なことなのです。
「可哀想」それが
誰のための感情なのか
注意深く見つめて
いかなくてはならないと
自戒を込めて
思い至っている次第です。