今日の夕方のニュースで
多頭飼育崩壊が
各地で静かに急増していることを
伝えていました。

始まりは一頭の仔猫から・・・

猫の繁殖期になると
道ばたで生き倒れている仔猫を
見かけたけれど
どうしたらよいかという
ご相談が増えます。

助けられるものなら助けたい
けれど、すべてを助けられないなら
その目の前の一頭さえ
救う資格があるかどうかを
私は自問してしまうのです。

里親になると手を挙げることと
目の前の仔猫を助けることは
同じことのようですが
同じではありません。
良くも悪くも可哀想だけでは
里親にはなれません。

個人保護は
ほとんどが
この「可哀想」と言う
気持ちから始まります。

可哀想…
どうにかしたい。
そう思うことは
素晴らしいことではあるけれど
一番怖いのは
この気持ちには
終わりがないということなのです。

一頭目を拾うことが出来ても
二頭目、三頭目は・・・
一頭でも拾ってしまったら
あの子は助けたのに
なぜ、この子は助けないのか…
そんな思いに苛まれ
きっと、蛇口が壊れたように
抱えてしまう。

里親が見つかればきっと大丈夫。

呪文のように
そう思うけれど
実際、たった一人の里親を
見つけることでさえ
容易なことではないのです。

ひとりで出来ることには
限りがあって
よかれと思ってやっていたことでも
そうでなくなる瞬間が
来てしまった時
みんなが一斉に
不幸になるなんてことは
あってはなりません。

安易な気持ちの保護が
新たな哀しみを生まないようにするためには
避妊去勢の知識の周知が急務であり
もっと言えば
保護を必要とする仔猫や
犬猫たちがいなくなる
世の中にしなくてはなりません。

今後、各地で行われている
譲渡活動の周知や理解が徹底すれば
ペットショップから犬を
迎える人も減るでしょう。
そうすれば、生体販売の不振が起きて
過剰供給は減速されるかもしれません。
センターの収容数が減れば
収容期間が長くなり
里親に繋がる率も上がるでしょう。

愛護センターは
その名の通り
一般の人が
道ばたや生活の中で救った命を
誰かに繋げるのが
本来の役目なのではないかと
個人的には思っています。
いまはまだ、
本来の目的を果たすに至らない
やりきれない現実があるけれど
命を救うことを
躊躇わずに行える社会にすることは
すり減り続けている
人々の心を救うという
大きなことに
どこかで繋がっていると思うのです。

人を思い遣れない人間に
動物を思い遣ることは
出来ません。

ひとりひとりが
思い遣りを持ちあい
まずは
人間同士が繋がり
救われて
癒されていかなければ
人間の傍にいる
犬や猫たちの哀しみは
本当には
終わらないと思うのです。

人間同士で補い合えない
寂しさや哀しみを
背負わせるだけじゃない
動物たちとの繋がり方を
私たちは
今一度考え直すときに
来ているように思います。