犬は、動物です。
どんなに躾ても
完璧はありません。
その完璧でない部分を
人が正しく理解し
フォローしていかなければ
人と犬の穏やかな
共生は適いません。
身体が大きくても
気が弱い子もいます。
身体が小さくても
喧嘩腰な子もいます。
犬を飼う時
一番知らなければならないのは
しつけ方の前に
犬に対しての
正しい知識です。
簡単に言えば
犬の身体能力は
人間の、想像を
遥かに超えるという
事実です。
走る速度やジャンプ力
噛みちぎるチカラや
どんな微細な違いも
嗅ぎ分ける鼻に
どこまでも
歩き続けられる体力。
なにひとつ
人が敵うものは
ありません。
犬が小さければ小さいほど
人は犬の扱い方を
間違えやすくなります。
犬のニーズを無視し
接し方を
間違え続けた結果
有り余った
過剰なエネルギーから
犬は心理的な安定を失い
結果問題行動という形で
受け止めきれないストレスを
発散させていきます。
小型犬も大型犬も
発散のさせ方に
違いはありません。
多動や
激しく連続する吠え
威嚇や噛みなど
しかしながら
人の受け止め方は
小型犬と大型犬では
かなり違ったものになります。
そうした態度は
小型犬には良くあることとして
軽視されがちですし
大型犬においては
どんな理由があったにせよ
大した理解もされずに
凶暴な犬という
レッテルを貼られます。
犬は人を内面で判断しますが
人は犬を見た目で判断します。
犬という動物を
正しく知ることで
犬の見た目に惑わされない
態度を身に付けることが
出来るようになります。
大きくても小さくても
犬は犬です。
どんなに小さくても
口の中の構造は大型犬と同じです。
本気を出せば
指先なんか簡単に喰いちぎることは
出来ますが、そうしないだけです。
犬は犬の怖さを知っています。
その怖さを知ることこそ
社会化の一歩であるとも
言えるかもしれません。
犬の社会は
人間社会より
ずっと厳しく
和を乱すものは
明らかに疎んじられます。
相手の年齢に関係なく
態度の変更を
はっきりと求められます。
これこそが
犬が犬として生きていくための
本当の犬の社会化です。
犬は様々なサインを
出し続けています。
一番わかりやすいのは
ドッグランなどに行った時
柵越しに対面した
他犬の行動を観察することで
わかったりします。
いくら人から見て
静かに振舞っているように
見えていても
殺気に満ちていれば
犬達は和を乱しかねない
危険な相手として
その場の犬を
総動員して
排除しようとするのです。
自分の犬が
どんな態度を取っているか
相手の犬が
どんな態度をしているかを
秒単位で
見極めることが
出来ていなければ
ドッグランだけでなく
普通の散歩の時でさえ
自分の犬を
正しく守ることは
出来ません。
私の考える
守ることとは
抱っこして
庇うことではありません。
我が家の三頭を抱えて
守ることは
物理的に不可能です。
犬を本当の意味で
守るとは
その場に即した態度を
はっきり飼い主が要求することで
無用な喧嘩や事故を
防ぐことです。
いざという時
犬を守るために
普段の関わりの中から
こちらの要求を
理解させ
従う心理を培うことが
大切なのです。
家で出来ないことは
外でも出来ません。
犬にも個性がありますが
個性だからと言って
破らせていいルールは
ありません。
ルールなき自由は
無秩序であり
そこに、価値ある自由が
存在しないのは
人間社会でも
同じかもしれません。